世の中に悪は存在しない

 

 

よく考えてみよう。

 

 

オギャーと生まれた赤ちゃんに

悪は存在するだろうか?

 

赤ちゃんの時に

罪人になろうと生まれてきたと

思うだろうか?

 

 

そんなわけはない。

 

生まれながらの罪人なんて

いるはずもない。

 

 

 

病気になってから

自分は本当にうまく生きられないな

とつくづく思った。

 

 

こういう時

大抵の人はこうやって乗り越えるだろうに

自分はそれができない。

 

なんで自分はできないんだろう?

 

 

こういう時

大抵の人はなんてことないだろうに

自分はひどく苦痛に感じて苦しい。

 

なんで自分はこんなに苦痛に感じるんだろう?

 

 

こういう時

大抵の人は何もなく言えるのに

自分は躊躇して言えない。

 

なんで自分は言えないんだろう?

 

 

 

自分がなぜそうしてしまうのか

一つひとつ気になったことを

紙に書いて因数分解していくようになった。

 

 

すると

自分の歪んだ思考や態度は

それまでの人生や子供の頃での環境

親や周囲の態度や言った言葉が

何かしら影響していることに気がついた。

 

 

 

じゃあ

その時の原因を作った人を責めるのか?

 

 

初めは恨んだ。

 

あの時あんな態度取られたせいで

自分はこんなんになったじゃないか!!

あんなこと言うから

そのせいでこんなんになったじゃないか!

って。

 

 

過去のことを謝って欲しいと言って

親に謝ってもらったこともある。

 

 

 

けれど大事なのはここから。

もっと深く掘っていこう。

 

 

じゃあなんでその人は

そういう態度を取ったのか?

そんなこと言ったのか?

なぜそうしてしまったのか?

 

 

それは

その人の中にある

恐怖、周りの目、見栄、歪んだ愛情が原因。

 

 

それらはなぜ

その人の中にあるのか?

 

 

その人の中に出来てしまったそれらもまた

その人の過去の環境や他人によるものなのだ。

 


その人自身もまた

どこかのフェーズで

被害者のような立場だったのだ。

 

 

 

そしてそして

そのまた歪んだ影響を与えた人は・・・

そのまたまた誰かの犠牲となり・・・

 

って

永遠に歴史を遡ることになる。

 

 

 

じゃあ誰が悪いの?

 

 

って

特定できやしないし

別に誰も悪くない。

 

 

 

その人がそうしてしまったのは

ある意味仕方のないことなのだ。

 

そういう選択しかできない

生き方をするしかなかったから。

 

 

 

だったら

そんな負の連鎖を繰り返すのはやめて

自分で最後にすればいい

 

自分こそが

その負の連鎖を止めるのだ!

 

 

どういうことによって

自分の中の歪みができたのか

見つけることができれば

自分はそれをやらなきゃ良いのだ。

 

 

 

人間は間違いを起こす生き物だし

誰かの正解は誰かの不正解でもある。

 

 

自分だって

自分の中の歪んだ部分のせいで

人を傷つけてしまうこともある

 

 

 

そして

あたり前だけど

悪人を許しましょう

とか

自分に危害を与えた人も許そう

って話じゃない。

 

 

傷つけられたことを恨んだり

怒りが湧くのも当然。

許せなくてもいい。

 

 

 

けれど

"悪人はその本人が悪い"

なんて単純なものじゃないのだ。

 

 

 

自分を掘り下げていくうちに

そう気づいたら

 

誰かのせい

何かのせいにすることをやめて

 

自分が自分で在ること

他人が他人で在ることを

深いところでは

許可できるようになったのだ。

 

 

諦めではなく

「そうなっちゃったの仕方ないよね」

って

どこか思えるのだ。

 

 

 

人や環境を恨んで

いつまでも他に責任を押し付けているのは

単純にもったいない。

 

 

過去を生きていては

せっかくの今が台無しだ。

 

"今"からは

自分でいくらでも変えていける。

 

 

 

そして実は

そんな歪んだところが

人間の味なのだ。

 

 

もっと真っ直ぐに育っていれば

生きるのがラクだっただろうなあ

って思うことは多々あるけれど

そういう人生もまたオモロイではないか。