自分の中の固定観念
気付いたとき、理解したとき。

 

そして、その固定観念を
どうにかしたいと思ったとき。

 

忘れずにいたいのは、
「仕方ない」「諦めよう」
考えるのでは解決にならない、ということ。

 

 

固定観念に気付くような
出来事(現実)があったとき、
なぜ自分は「こう思ってしまうのか?」
を考えると思います。


この答えを見付ける作業というのは、
案外一筋縄ではいきません。

 

そもそも、考えてすぐに
見つかるものでもなかったり、

 

答えがわかったぞ!と思っても、
間違った答えだった場合もあります。

(その場合、また同じ問題や現実が現れるので

違っていたのかな、とわかりやすい)

 

 

何度も何度も考えて、答えだ!と思って、
でもまたくり返して、また考えて、考えて。

結構ハードな作業であったりもします。

 


例え、答えに辿り着いたとしても

あまりに凝り固まってしまっている

考えを目の前にして、
「仕方ない」「諦めよう」

思ってしまってしまうかもしれない。

 

でも、それでは解決には至りません

 


自分が信じ込んでいる、
「○○は悪いこと」
という
固定観念を外さないと、
同じことがまた繰り返されてしまいます。

 


「仕方ない」「諦める」
ではなく、
「捉え方を変える」

 

捉え方を変えて、
別のことを信じてみる。

 


辿り着いた答えに対して、
自分ではどうしようもできないような
無力感を覚えてしまうかもしれません。

 

けれど、


その固定観念を作り出したのは、自分自身です。

それなら、自分自身で変えることもできるはず。

 

 

 


捉え方を変えるには、様々な捉え方を

知ることも大切なんだなと感じます。
ここでも、役に立つのが知識。
今までの経験でも、本でも、通りすがりの人の言葉でも、
何でも自分を助ける手助けになるのかもしれません。

 

ストックした知識をどう使うかは、

きっと自分のセンス次第なのだと思います。

 

 

自分の固定観念と向き合うことは、

今までの自分と向き合って、感謝して決別すること。

また、新しい自分と出会うことそのものなんだろうな、きっと。