自分の能力を信じていない=無責任

 

なのかな、と。
無責任というのは、自分に対してです。

 


自分のことを思い返してみても、
自分が「できる」と思うことに対しては
自然と努力ができていたように思います。

 

できる、やりたいという気持ちがあれば、
人から見たら努力しているように見えても、
本人はとても楽しかったり
するものです。

 


できないと思っていること。
下手だと思っていること。

 

それらに対しての努力は、
非常に中途半端なことが多いです。

 

ろくにやりもしない間から、
「やっぱりできないな」
と自分で見切りをつけていることも。


いつでも言い訳できる
場所にいようとするので、
この場合の努力は
「努力したフリ」である場合が多いです。
できない自分を正当化するための努力。
考えてみると不毛ですよね
笑い泣き

 

「できない自分である」ために
わざと、できないことが前提になっているような
努力の仕方をする
とも言えます。

 

それは、「できない自分」
ありたいと思っていることと同じです。

 

これは実際のできる・できない
上手・下手とは全く関係がありません。

自分が「できない」と思っている、
「できない自分」でいた方が都合がいい。

 

傷つかないためだったり、
逃げることで得られることがあったり、
本当はやりたくなかったり…
理由は様々あると思いますが、
自分自身でそう選択しているだけのことです。

 


できないことは、できないでいい。
やりたいことは、しなくてもいい。

 

行動そのものに優劣はないはず。
これも、自分の捉え方だけの問題です。

 


自分が「できる!」と心から信じて思っていれば、
大概のことはできるのだろうと思います。

 

今自分にできる精一杯の工夫をして、
積極的に行動に移す。

 

それが楽しかったり、
充実していたりするから、
「しんどくて重い」努力にはならない。

例え失敗したとしても、本当のゴールのために
いくらでも方向転換ができる柔軟さもあるのだと感じます。

 

 

 

まずは、自分の能力を信じること。
自分は「できる!」と思うこと。


本当にやりたいことがあるのなら、
自分を信じて、工夫して考えて、
積極的に行動を起こしていこう。

 

改めて、そんなことを思った日でした。