Diary -3ページ目

Diary

出来るだけ更新します。


恐らく史上最悪だったスケジュールを切り抜けた挙句の睡眠不足だというのに、完全に目が冴えてしまった。今これを生まれ故郷のビジネスホテルで書いている。高速バスの到着時刻とホテルのチェックインの間に3時間という地獄のような死に間ができてしまって、東北の冬らしからぬ暑さと寝不足による頭痛に悩まされながら学生時の通学路を歩き回った。ついでに絶食もしてしまった。空腹は分かるのに何を食べたいのか全くわからなかったから、分かるまで放置していたらいつの間にか1日が終わろうとしていた。なんてことだ。このままうまいこと眠れたらいい。



そんなこんなで地元にいる。気まぐれと友人の後押しで実現した。母親の都合で、初日だけ実家じゃないところにいるけれど。そしてこのままその友人と会う予定。弾丸帰省らしくていい。




地獄の3時間は、地元を歩き回りながらぼんやりとした意識の中で10年くらい前の自分と話をしていた。たぶん、これがあの人の言っていた解体と分析なんだろうと思う。



観察と吸収を放棄して、渇望することを非常に恐れていたあの時の自分と、少しずつではあるけど、ようやっと対面することができている。正直な話、茫漠と生きていたせいで、10代の頃の記憶がほとんどない。だから懐かしさなんか湧き上がってこないし、生まれ故郷のはずなのに異国の地にいるような感覚すらある。それでも薄ぼんやりと見えている過去を改めて見てみれば、10代の自分はよく泣いてたみたいだった。妙にプライドの高いバカだったから人前で泣くことはあまりしなかったけど、知らない世界が見える度にとにかく届かないことが怖くて泣いていた。あれはどうしてだったのか、今でもよくわかっていない。隣で生きていたはずの母親も知らない事実だ。ああでもそうか、あの人はあの人で、精一杯だったんだっけ。あっちもこっちもバランスを取ろうとして、時々自分自身が倒れてしまっていた。と言っても、ヒステリックになったりするんじゃなくて、至極静かに壊れていたんだけど。この前帰省した時に、あの当時よくもったね、と言ったら、彼女はいやに晴れ晴れとした顔で、それでも生きているのが楽しかったからねと言った。彼女の人生もそこそこ波乱に満ちていたけど、それが報われるとか報われないとか、そういう判断基準を設けるのは非常に馬鹿馬鹿しいことなのかも知れないな。そして私は何も出来なくてごめんねくらいの一言を言うべきだったのかもしれない。あの母は重苦しい話を嫌うから何も言わないでいていいんだろうけど。労った瞬間何かが崩れても怖い。だから今回もきっと何も出来ないし何もしない。


そういえば片親の子がよく自分を責めていたりしているのを見るけど、あれは無意味だな。要らん人間などこっちから消してやれば良いんだ。たとえ肉親だろうとそれは自分の人生から切り離すべきだ。10年前の自分にもそう言ってやりたい。……イヤイヤそんな話をしたかったんじゃなくって。


とにかく10年前の自分と話ができるようになった。と言っても、まだ目を向けられていない部分のが圧倒的に多い。それだけちゃんと生きていたということなんだけど、でも多分、大部分はもう見もしないで忘れるか消すかしていくだろうと思う。何となくそんな気がしている。過去を美化しないことにしているし、過去は現在よりも鮮明であるべきじゃない。それでも不意によぎる記憶はちらちらある。それを否定するつもりもないし、それでこそ人間だと思うから無理に消そうとも思っていないけど。何度も振り返るのはそれほど美しい時間だったからだろうとも、思う。でも私の長文はあの彼を苦しめているかもしれないな。どうだろう。ここもTwitterも読んでいないといい。……ここまできて恐ろしい矛盾に気づいた。意志と意思とが全く逆の方向に行こうとしている。どっちをとるかと言われたら意志の方なんだけど。…もう終わった話だ。でも、だからこそ書く。




見知らぬ人の言葉を借りるなら、私は、そしておそらく私たちは、今の今まで終わりの先を走り続けてきた。もちろん個々別々に。得体の知れない感情にうまく蓋をすることもできず、じわりじわりと捩れていくそれを時間という濁流の中にただただ放置することを選び続けていた。そしてそれは図らずも形骸化した愛となって、墓場を作るでもなく両者の真意と共にどこかに行ったままになっている。それでも何もしないのは、それが両者にとって一番いい方法だと知っているからだ。今更誰も咎めたりしない。誰も知らない。それなのに、徹底的に忘れ去られることがない。それすら愛しいと思う瞬間も確かにあるけれど、何かをぶっ壊そうとしない限りはずっとこのままで、いつしか薄れて無くなるだろう。感情は永遠には続かない。終わりは必ずある。ここまで変わらないでいるのはすごいと思うけど、もう既に独占欲を誰かに向けることは完全に放棄した。それを悲観しているわけじゃない。縋れる世界は幾らでもあることに気づいただけだ。なにも人じゃなくたっていい事に今更ながら気づいたからだ。ただ単に、人に独占欲を向ける必要がなくなっただけの話だ。ひどいと言われればそれまでだけど、もう十分すぎるくらいの時間は経ったと思う。恋愛感情を形成している一種の独占欲を、17歳18歳で使い切ったことにずっと戸惑っていたのかもしれない。縋りようのない愛情をどうしたらいいのかなんて、そりゃあわからなくて当然だ。


昔から、どうも手に入らないようなものを欲しがる傾向がある。それはその時その時によって、物だったり人だったりするのだけど、なかなかそれを表立って乞うことをしないのは、自己保身なのだと思う。別に育った環境は関係なくて、完全に防衛のためだ。愛したり愛されたりするのに「資格」という言葉を持ち出すのは卑怯なことだ。ちょっと前にmkmとも話したことだけれど。


そういえばなんだか世間には男女が一緒にいれば恋仲、という考えがあるけど、mkmとは全くそういう感じじゃない。スタンスが全然違う。何というか、言葉は悪いけど、段階だ。それぞれがちゃんとした人間になるための、ステップの一つだ。私も彼もそこは同意している。好かれても困るし好いても困る。何が本当なのか私もよく分かってないけど、凄く乾いた関係だとは思う。申し訳ないけどmkmと恋仲は嫌だ。mkmも私みたいなのは嫌だろうし。

ただ、美しくないね、ダサいね、と言い合えるのは良い。私は美しくない。それでいい。その分向こう側がよく見える。アクシデントのように向こう側の人と関わるようなことが起きてしまっても大丈夫なラインは保っていたいけど。最近の若者は美しい人が多くて驚く。



何だか終わりがない。
呆然と、やり続けないとダメだと思っている。止まると死にそうになる。とにかく、何でもいいから、なりふり構わず行かないとダメになる。たとえそこまでの熱意がなかったとしても、ここまで来てしまった以上はどうしようもない。行くしかない。続けるしかない。素晴らしいと思えるものに出会い続けないと息ができない。

最優先事項は日々変化し続けている。ある日突然いきなりシフトチェンジするわけじゃなくて、浸水していくように、フェードインしてくるみたいに、じわりじわりと自分を染めて、気づけばもう今まで何を優先していたのかわからなくなってしまうほどになっている。


視界に入るものは極力美しい方が良い。口に入るものは美味しいものの方がいいのと同じで。




正直驚いた。

何も書けないと思っていたのに、どこにこんなバイタリティがあったのだろう。
私のことをよく褒めてくれた大人が1人いなくなってしまったことで、少しだけ動揺しているのかもしれない。それでも色んな人が優しくしてくれる。嬉しい。ちゃんと返していけるように頑張る。




でもなんだか、やっぱり微妙にズレ始めている。気がする。





でも大丈夫。大丈夫だよ。