あれは確か高校3年生くらいのときだったと思う。
私は自室の勉強机の上で、当時国語の授業で使っていた便覧を何の気なしにめくっていた。何の気なしというか、もはや無心に近かった。視界の端から端を一定の速さで走り去っていく情報を見つめ、そこに何が書かれているかなど全く気にせず、ただひたすら一ページ目から丁寧にめくっていくということだけを繰り返していた。
今思い返せばなんでそんな事をしていたのか全く理解できない。暇か。たぶん友達がいなかったんだと思う。そうか。暇だった。受験生だったけど。
そうしている内に文豪たちが集結しているゾーンにたどり着いた。写真と、簡単なプロフィールと、主な作品が載っている、まさに一覧だった。卒業アルバムよりちょっと豪華なそれに掲載されていた文豪たちの顔写真は笑ってたり、仏頂面だったり、ちょっと怒ってたりとバラエティに富んでいて、もっと言えば切り取られたシーンの背景も様々だった。証明写真のように目も口も鼻も一本線になっている人もいれば、何だかよく分からない場所で煙草をふかしている人もいたし、極めつけは背景を切り取られたせいで髪の毛がヘンテコになっている人もいた。美容師(恐らく当時は理容師、理髪師と呼ばれる人しか居なかっただろうけど)が不憫に思えるくらいだった。
たまたま一番最初に載っていた芥川龍之介の欄が目に留まり、私はふむふむと読み始めていた。
端的説明というのはびっくりするもんで、読み進めていくうちに芥川の事をじゅうぶん知った気になる。例にも漏れず私はいつの間にか、さすが便覧の文豪ゾーンにおいてトップを飾る男だ、と思っていたし、文学賞最高峰(と私は思っているが世の中がどう思っているのかは知らない)の賞に自身の名前がついてしまうだけのことはあると思っていた。あまつさえ芥川龍之介という男は私の友人であり師匠なんじゃないかという、おぞましいレベルにまで思考が達していた。コンサートでアイドルと目が合った、というのに似ているがその次元を余裕で超えている。会ったこともなければ実際に動いて喋っていた場面すらも見たことがない人物を勝手に友人枠に放り込みだすのだから孤独を貫こうとする10代は恐ろしい。しかしそこまで惚れてしまうほど何といっても彼の最期がかっこよかった。不謹慎と思われてもいい、とにかくかっこいいのだ。
或旧友へ送る手記、というのがある。これは彼の遺稿のひとつなのだけれど、たぶんいろんな人が今までも幾度となく紹介してきていると思うので何がどうというのは言わないでおく。というか私もよく分かっていない。なので自分で勝手に勉強してください。私もします。
以下本文より抜粋。
「自殺者は大抵レニエの描いたやうに何の為に自殺するかを知らないであらう。それは我々の行為するやうに複雑な動機を含んでゐる。が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である」
何言ってんだお前。と思った。たぶん送られたほうも思ったと思う。小さな声で、何言ってんだこいつ、ぐらいは口をついて出たかもしれない。同情を禁じえない。何言ってんだ龍之介。将来が明るくて、自分が死に至るまでのパッセージがはっきりと見えていたらそれは逆に怖いことだろう、と高校3年の私は思っていた。逆に、と使っちゃうあたりが非常に高校生らしいのだけど、ここは逆にその事については触れないで話を進めていく。長くなるから。脱線するから。逆に。
「何で死にたいの?」
「ぼやっとした不安があるから」
このワンスローだけで全てが解決している凄まじさとそれに伴う呆気なさは尋常じゃない。高校生っぽく言うならハンパない。え?もう言わない?死語なの?じゃぁ「パない」って言っ…、え?それももう言わない?何て言ったらいいの?あ、あれか。伝家の宝刀「ヤバい」か。嗚呼、言葉ってヤバい。
さて。このヤバすぎる男、通称ヤバ男に関して、もう一個ヤバいエピソードがある(文章が頭悪すぎる)。これもずっと語り継がれてきていることなのだけど、のちの夫人となる塚本文に宛てた手紙が相当ヤバい。各所いろんな訳し方があって(日本語を日本語で訳すというのも不思議な話だけど)、いろいろ見ているうちに爆弾みたいな訳文を見つけた。
よく見る文章はこれ。
僕のやってゐる商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。
その上 僕自身も 碌に金はありません。
ですから 生活の程度から云へば 何時までたっても知れたものです。
それから 僕は からだも あたまもあまり上等に出来上がってゐません。
あたまの方は それでも まだ少しは自信があります。
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。
それでよければ来て下さい。
僕には 文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。
それでよければ来て下さい。
で、私の心臓をぶち抜いたのがこれ。
僕のやってゐる商売は 今の日本で 一番金にならない商売です。
その上 僕自身も 碌に金はありません。
ですから 生活の程度から云へば 何時までたっても知れたものです。
それから 僕は からだも あたまもあまり上等に出来上がってゐません。
あたまの方は それでも まだ少しは自信があります。
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。
それでよければ来て下さい。
僕には 文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。
それでもよければ来て下さい。
お分かりいただけただろうか。これは是が非にも伝わって欲しい。
ぴんと来なかった方はもっと近づいて見てみて頂きたい。だからって液晶に目を近づけたりしないで欲しい。目が悪くなるから。
ではではクローズアップします。
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。
それでよければ来て下さい。
僕には 文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。
それでもよければ来て下さい。
ようしさすがに伝わったべ!とこの時点で思ってますが、念のため答えを置いておきます。
何だか急に恥ずかしくなってきましたがそんなこと言ってたらいつまでたっても伝えられません。
うちには 父、母、叔母と、としよりが三人ゐます。
それでよければ来て下さい。
僕には 文ちゃん自身の口から かざり気のない返事を聞きたいと思ってゐます。
繰返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕は文ちゃんが好きです。
それでもよければ来て下さい。
「も」の破壊力、恐るべし。
私はこれで芥川龍之介という男に完全にオチました。同じ時代に生きていなくて良かったと思うくらいには惚れました。当時芥川氏は26才、お相手の文さんは18才だったそうで、芥川が生きていた時代で18といえばもうれっきとした大人の分類なんですけど、高校3年生の感覚で言わせてもらえば、18のときに26のお兄さんからこんな文章をもらっていたら間違いなく私は爆発していました。遠い時代の、他人同士の話なのにちょっと爆発しかけたし。「お前ホント、そういうとこだぞ!///」なんて古めかしい書き方しちゃうぐらいには前かがみです。ごめんなさい。
「うちには父、母、叔母~」のセンテンスは、ちょっと暗めというか憂慮すべき話題提起の後ろに「それでよければ」という言葉があるのに対して、「僕は文ちゃんが好きです」のセンテンスは単刀直入かつ言葉の純朴さの純度を最高度数まで詰めた話題提起のあとに「それでも」という言葉を持ってきているので、もう、18の私は自室の勉強机の上でのた打ち回るしかありませんでした。数年たった今でもこの文章を打ちながらのた打ち回っています。そういえばこの感覚を「胸キュン」だとか「キュン死に」だとか表現する時代はもう終わっているんでしょうか?今はなんて表現するの?「萌え」?…いやはや、社会との接触が乏しいとこういうのも分からなくなっていくんだなあ、と思いながらフィリピンバナナ(3本198円)を食しています。
便覧欲しくなってきた。買いに行こう。あるかな。
