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介護事業所経営実践録

株式会社カノン代表取締役・樽本典篤のブログです。埼玉県朝霞市に拠点を構える訪問介護事業所の管理職を兼任しています。介護事業所を運営していく中で思ったことや、当事業所のサービスをご紹介していきます。

当社は元々、CHANELやGUCCIなど海外ブランド製品と宝飾品の輸入販売を手掛けており、かれこれ20年近くになります。介護事業に参入したのは7年ほど前のことで、埼玉県和光市に訪問介護事業所を立ち上げたのが始まりでした。

なぜこの業界への参入を決めたのか…私には今年で97歳になる祖母がいます。父方の祖母で、二世帯住宅の実家で暮らしていました。平成12年に旅行先で転倒した祖母は入院中に「アルツハイマー型認知症」と診断され、入院先で身体拘束をされていました。

「家で看たい」…と、父が入院先から連れ帰った祖母は寝たきりの状態でした。それから数年かけて車椅子から歩行器…4点杖から自力歩行へと、想像をはるかに超えて回復してくれました。それまでの両親の努力は並大抵のものではなかったと思いますが、身体状況の回復と同時に認知症が進行していきました。

昼夜の逆転から徘徊へ…暴行や不潔行為など、ありとあらゆる認知症の周辺症状が順番に現れました。当時、「介護保険制度」など知る由もなかった私たちは、家族や親族だけで24時間の介護をすることになりました。

私の父はとても責任感の強い人です。「自分の母親を家で看る」という信念で、身も心もボロボロになるまで、愚痴一つ言わずに介護を続けていました。それでも、時には混乱した祖母が刃物を持って母に襲いかかる、ということもあって、家族は崩壊しかかっていました。

そんな時、自分が経営していたセレクトショップのお客様から介護保険制度の事を聞き、さっそく申請をしました…認定は「要介護3」。そのお客様が「ヘルパー」という仕事をしていたことから、父にヘルパーの利用を勧めましたが、当初、利用を決断してくれたのは深夜の見守りでした。私や母のことを気遣っての事でしたが、週に数日はヘルパーに早朝までの見守りをお願いすることになりました。

介護保険制度が施行されてから、長時間の見守りでは制度が利用できないため、月に十数万円を負担して自費のサービスを利用していました。ケアマネージャーやヘルパーを派遣してくれていた事業所とのやり取りは父に代わって私が行っていました。少しでも父の精神的な負担を減らしたかったからです。

その時のケアマネージャーやヘルパーの対応が、私が介護事業へ足を踏み入れるきっかけになりました。

まるで赤ん坊に話すかのように祖母に「指示」を出すヘルパー…社会性のない話し方で家族に対応するケアマネージャー…それでも、人の手を借りなければ介護は続けられませんでした。私が出会った介護職の人々だけが悪いわけではありません。それでも職務をこなせてしまう悪しき慣習があることが今なら分かります。

私たちのサービス対象は「社会的弱者」ではありません。ですから、高齢者や障がい者に対する「基本的人権の保障」とは、サービスを提供する介護職側が、いち社会人としての規範のもとで相手と対峙することから始まると考えています。社会人としてのマナーを身につけ、介護のプロとしての誇りを持って職務を遂行することで、おのずと介護に携わる人々の社会的地位も認知されるはずです。

それこそが、当社の介護事業活動の原点なのです。