クセナキスを聴いてきた | おいでませ

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高城香那のディレッタントの延長上ブログ

15年以上ぶりの目黒パーシモンホール。
 
今回は「クセナキスと日本」というもので
20世紀を代表する作曲家ヤニス・クセナキスが
今年で没後20年、来年で生誕100年という節目に
企画された演奏会でした。
 
クセナキスは
ルーマニア生まれのギリシャ系フランス人。
作曲家であり、建築家でもあります。
 
彼が何故クラシックの歴史の中で
20世紀を代表する一人になったかというと
 
作品の構造がとても建築的であるのと、(建築家だし)
コンピューターを使った数学的な確率論や電子音楽、
テープ音楽など楽譜の土台がないようなもの、
以前までのクラシック要素から
ちょっとぶっ飛んでしまったね、みたいな
ショッキングな部分としての一人だったからです。
 
これが音楽なのか、と批判的な意見も今でもあるんですが
音楽という歴史が進化する過程では
こんな人もいるよね、とも思います。
 
私がクセナキスに興味を持っているのは
当時作曲科だった音大時代に、
代表作であるエオンタやヘルマ、メタスタシスの楽譜を
観たりCDで聴いたりしたのと、
 
何よりも打楽器研究室にピアノ伴奏で通いまくって
打楽器の現代音楽を聴き好きになった中で
クセナキスのプサッファやプレイアデスが
めっちゃかっこいいじゃん!!と
一時期お熱になっていたからです。
 
 
今回は
小ホールと大ホール、ロビーを使って
クセナキスの作品を大いに楽しめる
私にとっては中々テンション爆上がりな時間でした。

演奏が聴けたのは

 

・3人のジャンベのための「オコ」

・ヴィオラソロの「エンベリ」

・パーカッションソロの「ルボン」

・パーカッションアンサンブルの「プレイアデス」全曲!

・電子音楽の「響・花・間」

 

の5作品。

聴いた順に個人の感想を綴っていこうと思います。

 

・Hibiki Hana Ma「響・花・間」(1969〜1970)

1970年大阪万博鉄鋼館にて公開された作品。

エレクトロ・アコースティックという部類らしい。

中央に円形に広がった座席、多方向からのスピーカー、

光のデザインなどの演出がありました。

 

何をするでも無く、電子音をただ聴くという

不思議な宗教みたいな空間でした笑。

クラシックの演奏会や、無言の電車内など

人々がシーンとした場所って

それぞれ色んな事を心の中で考えてますよね。

音がどんな風に聴こえるか想像していたり

客席の気になった人を観察したり
帰ったら何しようとか。
 
電子音楽のノイズや爆音の中で人は
何を感じるんだろうと思いました。
音楽だと思って聴きにきた人は
不快に感じる人もいるだろうし、
その中で芸術を見出したりする人もいます。
少なくとも、テーマである響や花、間を取り巻く
「時間」を共有することで
未来を表現しているようにも感じたし、
宇宙とか戦争とか、その中で生まれる美しさみたいなものを
みんなで共有しようとしていたような。
面白い時間でした。
 
・Okho pour Trois Djembes「オコ 3名のジャンベによる」(1989)
ジャンベというアフリカの楽器3台による作品。
ジャンベはとにかく
楽譜を書くのも演奏するのも難しいと言われる楽器です。
楽器によって音色が変わるし、
また叩く場所で音が変わるので
楽譜通りに再現する正解が見当たりません。
今回の演奏者さんたちは、なんと全員後輩さんでした。
懐かしさを感じつつ←
原始的な構築がしっかり表現された演奏でした。
一人ずつの技術はめちゃくちゃ高いし、
128分の1くらい縦が合ってんじゃないのって
くらいピッタリ。
開場時間中、ロビーコンサートとして
気軽に聴ける環境でしたが
妙にシンクロしたあの空気がすごかった。
 
・Embellie pour alt solo「凪 ヴィオラのための」(1981)
こちらはヴィオラの作品。
ヴィオラのソロ作品の中で多分地球上(色んな意味で)
一番難しい曲だと思います。
聴くだけだと、どうやって聴いたら分からない涙
というのが正直な感想。
次に微分音などで指のポジションの難しさや
音色には指示が細かくあるんだろうな。
ヴィオラは
ヴァイオリンとチェロの間の
音域を担う楽器ですが
どこか異国の民謡にも聴こえる懐かしさがありました。
ジャンベの作品とは真逆で
フレージング、流れを意識した作品で、
決まった音列や構成に黄金比が隠れてるんじゃないかとも。
数字の中にロマンを感じる人が作ったんだなと...
ロビーコンサートでやる作品にしてはシビアだったと思います。
 
・Rebonds pour Percussion Solo「ルボン パーカッションソロのための」(1987〜1989)
ルボンとは「リバウンド」のことで
太鼓から音が出て、跳ね返ってくるのを感じること、
それが演奏者の身体でもリバウンドが表現されているような
視覚でも楽しめる作品でした。
 
冒頭三発のテーマから呼応するように
少しずつ変化していき
太鼓の低音からウッドブロックの高音まで
クセナキスにしてはエンタメ感が強かった。
 
日本の打楽器コンクールでも課題曲になるなど
個性も出しやすく、難しい連符などの技巧は
そこまでなさそうですが
基本的な音の出し方を追求するには
とても勉強になりそうです。
 
今回の企画は
特別に「能舞」とのコラボレーションでした。
日本が好きだったクセナキスは
能にも興味があったようで、
今回演奏者の加藤訓子さんが
能楽師と一緒に作品を作り上げたそう。
能が表現する静と動、間。
日本の文化と、現代音楽の共作は
まだまだ進化しそうですね。
 
・Pléïades「プレイアデス」(1979)
今回私が最も聴きたかった作品♪
全曲生で聴ける機会なんて中々ありません。
何よりお友達が出演しているのもあって、
というか
誘ってくれたから行ったようなモン。
 
プレイアデスは星のことです。
クセナキスは
1 Metaus-metals(金属)
2 Claviers-Keyboards(鍵盤)
3 Peaux-skins(太鼓)
4 Melanges-mixtures(総合)
からなる4つの組曲を書きました。
全体的に宇宙感があるのはいうまでも無く←
 
もともと6人で演奏する作品ですが
今回は全体18人で演奏するというもの。
 
1の金属については
クセナキスがオリジナルで作った楽器、
sixxen(6とクセナキスを合わせた造語)が
使われていてガムランを想起させる音色です。
一つだったリズムと音が
ちょ〜っとずつズレていきます。
音程も微分音の指定があるそうで
絶対音感の人が聴くと「?」となります笑。
ドの1/4上?みたいな鍵盤楽器なので
音を細かく聴くより、建物を遠くから眺めるような感覚で
作品を聴くと中々美しいです。
個々の星がキラキラ満点に輝いている感じ。最後ギラギラする。
 
2の鍵盤はビブラフォンとマリンバ、シロフォンを使った作品。
こちらはオーロラの揺らぎが
完璧に計算されたカオスのよう。
一人一人の音列とリズムの周期がズレていて
たまに重なります。
全体の譜読みをしながらアンサンブルするのは
超難度だと思います。誰か迷子になっても
気付く人も少なそうですね。
 
3の太鼓は私が一番聴き込んでる作品です。
大学の定期演奏会で聴いてから虜になり
クセナキスの中では聴きやすい部類。
こちらも一人一人の独立したリズムパターンが
隕石のように荒れ狂うんですが
綺麗にドッキングしたり衝突するかのよう。
リズム自体は複雑では無いので
変拍子だけど体内の血管なんかのビートと合って
楽しくなっちゃう。
 
4の総合は1〜3のそれぞれ扱ったテーマが
ばっちりぎっしり入った作品。
 
現代音楽が難解だと言われても、
クセナキスの音楽はとても緻密にしっかり構成があるので
意味のないクラスター奏法や
埋めるような連符、即興があるような
現代音楽とはやっぱり違うと思います。
 
とても美しく描かれているし、
演奏している方も
それなりに解釈をして演奏を臨むことが出来ます。
ある意味、モーツァルトやシューマンにあるような
個人的な感情を伴う音楽よりも
音楽を感じる人もいるかもしれません。
音楽的センスがなくても、
楽譜通り正確に、
演奏できたら作品が出来上がるんじゃないかと
思いますが、お料理と一緒で微妙な匙加減と食材で毎回
完璧に再現出来ませんからね。
 
 
 
まぁ...ピアノ作品を演奏したいと思うことはないんですけど...
 
 
 
 
^^
 
久しぶりに音楽の話をしました。
普段しょうもないことばかりブログですが
たまには真面目に音楽のことを書いてみました。
 
何も考えず、音楽だけ聴く時間が
日本の文化として減ってきてると思うので
メンタルの部分や、また
演奏行為としての運動が(たとえ習い事でも)
増えたらもっと日本は明るいんじゃないかなぁと感じました。