2021年1月3日日曜日

まぁたんが旅立ちました。

ちょうど10時頃、
のりおさんと面会に行こうと思っていた矢先に病院から、心臓が止まりましたと電話があり
着いた時には、心臓マッサージをされている状態で、最後を看取ることができませんでした。


まぁたんと出会ったのは
2012年6月1日のことで
アパートの駐車場で丸くなって寝ていたのを見つけました。

出会った日は台風が過ぎ去った
ものすごく天気の良い日で
まぁたんが旅立った日も
やっぱりいいお天気でした。

そして昨日
移動火葬車にお願いして
毎日散歩した川沿いでまぁたんを見送りました。

火葬後に骨についてしまうからと言われ
ほとんどのものを棺桶から出されたけれど
私とのりおさんとれおんとちむの毛
みんなで撮った写真
まぁたんが好きだった私が作ったおやつ
まぁたんに書いた手紙を一緒に入れました。

病気がわかってまだ1ヶ月。
痩せたり食欲も落ちる前だったので
火葬した後の骨はどれも立派で
骨壷には収まりきりませんでした。

足と手の指の骨、犬歯をほんのちょっとだけ自分の手元においておけるようにわけて
骨壷に入らなかった分は全て受け取り粉々に砕いて
よく出かけた海にまきました。

沖縄で産まれたまぁたん
海は繋がっているから、沖縄にも行けるんじゃないかなぁ。


まぁたんと暮らした8年半。
私はたくさん謝らないといけないことがあります。
狭い家で過ごさせたこと。
たくさん留守番させたこと。
トイレも我慢させてばっかりだったこと。
叩いたりしてしまったこと。
散歩が面倒で早々と終わらせたりしたこと。

まぁたんには私しかいなくて
私が全てだったのに。

本当に本当にごめんなさい。

けれど、まぁたんが私の元に来てくれたこと
私は心から感謝しています。

きっと時間が経つにつれ
まぁたんの温度や感触も忘れてしまうでしょう。
思い出も風化していくんだと思います。

でも、まぁたんが家族でいてくれたことは
忘れないよ。
そっちの世界でも
すぐにまぁたんを見つけるよ。

それまでもうしばらく待っていてね。


私の持てる全ての愛情を
まぁたんへ。


ありがとう。











12月の頭、まぁの咳が酷くなった。

前から咳き込むことはたまにあったけど、
今回は1日中咳き込んでいたので病院に連れて行った。

心臓肥大。昔フィラリアもしていたのでそういったのも理由の1つかもしれない。

幸いにも肺水腫などは起きてなかった。

心臓の薬と咳止めを1週間分もらって様子を見る。
心臓の薬は、これから一生飲まないといけないらしい。

薬をもらって1週間のあいだ
多少は咳き込む回数は減ったけど
それでもまだ治まらない。
おまけに嘔吐もするようになった。

薬が切れた1週間後に再度病院。

もしかしたら気管支かも?とのことで
心臓、気管支、吐き気止めの薬を貰う。


功を奏したのか、咳も減り嘔吐も無くなった。
食欲もあってとりあえず一安心。

けれど、心臓の薬の副作用なのか
多飲多尿で、今まで頑なに外でしかしなかったおしっこを、いたるところでするようになる。


2020年最後の病院。
咳もおさまってきたし、薬の量を減らしてみようとのこと。
お正月も挟むので次の病院は2週間後。


それから3日後の、2021年の元旦。
夕方の散歩を終え、
ご飯をあげたら半分以上残す。
心臓病とわかってから、減塩のために市販のウエットフードやおやつは完全にやめて、ドライフードに野菜や肉の煮たものを混ぜてあげていたんだけど、これをまぁたんは予想以上に気に入ってくれたみたいで、残すことなんてなかった。

と、同時に頻繁に咳き込み始める。

しばらく様子を見るけど、何かがおかしい。
いつもの咳き込み方と違う。


もう時間は夜中。
おまけに元旦でどの病院もやっていない。

朝一で病院に連れて行くことにし、
寝ずにまぁの様子を見る。

苦しいのか、息も荒く胸も大きく動く。

座ることも横になることもせず
ずっと立ったままかウロウロする。

肺水腫が始まったのかもしれない。

朝になるのを今か今かと待つ。

まぁたんの口の中はだんだん紫に変わっていって
唾液はすごく冷たかった。

本当に危ないかもしれない。

行きつけの病院の開院は10時。
朝電話したけど繋がらず、もうこのまま病院に連れて行って無理にでも見てもらおうと準備してる最中、
まぁが痙攣を起こし始めた。
手足をグーーーっとつったように伸ばし
大量に血が混ざる泡を鼻と口から出した。
紫になった舌がすごい長さで出っ放しになり、
糞尿が一気に出た。
目をものすごい大きさで見開いたまま呼吸をしなくなった。

まぁたんまぁたんと呼んでも叫んでも反応はない。
瞬きもしない。
膨れたお腹を押し続けたら、咳き込むような動きをかすかにし、耳を当てて心臓の音を聞いたら微かに動いていた。

血だらけ、糞尿だらけのまぁをかかえて
彼に車を運転してもらい病院に向かった。
途中病院に電話したらようやく出てくれてすぐ連れてきてと言われた。

病院に着いたら外に先生が待っていてくれて
まぁを私から受け取って治療室に連れて行った。

1時間くらい待合室にいただろうか。

先生に呼ばれて治療室に入り、
パソコンを見ながら説明を受けた。

心臓発作だと思います。
レントゲンを撮ったら肺水腫も始まっていました。
意識は戻りましたが、まだ安定していないので今日越えられるかはわかりません。
肺水腫なので針を刺して抜くことは出来ないので薬をじゃんじゃん入れて排出するしかないです。
今は一旦落ち着いたのでまた何かあったら連絡します。   

とのことだった。

家に帰る前に顔を見ていきますかと聞かれ
まぁの様子を見に行ったら
私が入れるか入らないかどうかの大きさのICUの部屋にまぁが寝ていた。

抱いて連れてきた状態よりだいぶ落ち着いたみたいで、私の姿が見えたら起き上がり差し入れた手をスンスンしていた。

頑張れまぁたんと願いながら
一旦帰宅。
長い時間が過ぎたようにも思えたが、
まだ10時にもなっていなかった。


夕方病院に電話を入れた。


ICUの中が嫌なのか
吠えたり、ゲージをガジガジしています。
さっき少し外に出した時にちゃんとおしっこもしていましたが、やっぱり酸素室を出たらゼーゼーするのでまだ油断はできません。
面会はいつでも来ていいです。


少し元気が出てきたみたいでよかった。


まぁたんの病気がわかって約1ヶ月。

咳が酷く、おしっこもいろんなところでするので全然眠れない日が続いた。
仕事中も気が気じゃなくて、家に帰る度に荒れ果てた部屋になってはいたけど、あぁ、今日もまぁたんが無事でよかったと胸を撫で下ろした。
でもまぁたんはもっともっとキツかったはずだろう。
私がいない間、不安でたまらなかっただろう。


まぁたんが家族になって約10年。
すっかりおじいちゃんになったまぁたん。

肺水腫になった犬の生存率は半年程度だと
ネットに多く書いていた。

でももうすぐ死んでしまっても
それは今であってほしくない。

どうかこのまま退院できますように。

記録のためにここに書いていこうと思います。



今日の朝、両親と3人で病院に行き、
たまを送り出しました。

朝一番でお世話になっていた病院に電話をして、
安楽死をするかどうかはたまを診察してからだと言われました。

もし、先生にダメだと言われたら
他の病院を探したりせずに
覚悟を決めて家でたまを看取ろうと家族で話しました。

たまを診た先生は、
よくここまで頑張れましたね。
辛かったと思います。
もういいでしょう。
送ってあげましょうと言いました。


安楽死は眠ったように安らかに逝くものだと思っていたけれど、その想像とは全然違って
最初の注射をし、お母さんが抱き上げた時
まだこんなにも力があったのかと思うほど暴れ回り、意識がなくなりました。
その時点で大きく波を打つように動いていたお腹も動かなくなりました。

そして何本の注射を打ち、
先生が聴診器で心臓の音を確認して
ライトで瞳孔をみた後、
先生がよく頑張りましたと言ってくれました。

結局最後は苦しそうで、
これが本当に安楽死だったのかと思うほどで
後悔していた思いがさらに強くなりました。

最後に暴れた時、
やめて、死にたくないと伝えたかったんじゃないかと。

けれどもうそれは遅くて
私達はたまを死なせてしまいました。



もう、先に待ってるちょこに逢えたかな?

私達も、そっちに行くから
もう少し待っててね。

最後の最後まで、一所懸命生きてくれてありがとう。

たくさんの思い出を本当にありがとう。