こんにちは。

 

 今日は、4月6日 (火) 。

 

 4月に入って初めての更新、かな。

 

 前回が、ちょっとわたくし事の内容で、それまでの3回分が偶然にも、ロード&スカイ系のアーティストって感じでね。

 

 嬉しさと、ワクワクが止まらないぜ~!状態でした。

 

 最近は、「1970年代の洋楽」 を特集しようかなって考えていて、リストを作っている最中です。

 

 今日は邦楽ですが、矢野顕子さんの曲を取り上げてみたいと思います。

 

 「初」 となりますので、少しだけプロフィールを。

 

 矢野顕子 (やの あきこ) は、1955年2月13日生まれ。

 

 日本のシンガー・ソングライター。 アメリカ、ニューヨーク州在住。

 

 1974年から活動。 音楽ジャンルは、ジャズ、ポップ、テクノポップ。

 

 日本国外のミュージシャンとのセッションも多くこなしている。

 

 1955年東京生まれ。 3歳の時、医師である父の開業に伴い青森に転居。

 

 中学生の頃、ピアノ教室でピアノを習い始める。 父親に連れられてジャズ喫茶に通うようになり、独学でジャズを弾くようになる。

 

 1971年、軽音学部に憧れて単身上京し、青山学院高等学校に入学。

 

 レストランでのピアノ演奏の仕事を始める。 帰宅が深夜になるため高校を中退。 ピアノ弾きとして売れっ子になり、ジャズクラブにも出演するようになる。 これが業界人の間で評判になり、筒美京平らに声をかけられる。

 

 1974年、18歳の時、バンド 「ザリバ」 名義でシングルをリリース。 筒美京平が作曲、矢野 誠がアレンジを担当。 (バンドはシングル1枚をリリースしただけで、すぐに解散。)

 

 翌年、妊娠を機に矢野 誠と結婚。 当時19歳。

 

 (4年後に離婚となったが、矢野顕子という本名の芸名が世に知れ渡ったため、離婚後もこの名前を使用。

 後に坂本龍一と再婚するが、14年後に離婚。)

 

 1976年、個人名義でのデビュー作となるアルバム、「JAPANESE GIRL」 を発表。  ――――

 

 今日の曲 「ひとつだけ」 は、矢野顕子の代表曲となっているが、元々は1979年のアグネス・チャンのアルバム、「美しい日々」 に提供された楽曲。

 

 1980年の自身のサード・シングル、「ごはんができたよ」 のB面曲としてセルフ・カヴァー。

 

 同年、同名のアルバム、「ごはんができたよ」 にも収録。

 

 1996年、ベスト・アルバム、「ひとつだけ/the very best of 矢野顕子」 で新録音。

 

 2006年のアルバム、「はじめてのやのあきこ」 では、忌野清志郎とのデュエットで収録。

 

 

 では、「ひとつだけ」 を。

 

 作詞・作曲:矢野顕子。

 

 映像はライヴで、忌野清志郎さんと共演したものを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 矢野顕子さんの楽曲は、優しく、全てを包み込むような歌声、そして、ジャジーなピアノに合わせた歌唱法で、矢野さんならではの独特な世界を作り上げていますよね。

 

 

   ではでは、またね。