ベトナム戦争を題材にした映画や楽曲、演劇や書籍など、当時から現在に至るまでたくさんのものがあります。 私のブログでは、音楽や映画の事を取り上げる事をメインにしておりますので、どうしても避けては通れない歴史上の事実です。 そして、また、一人の人間として、未来のために何ができるのか? という事も自問しながら生きている。 人は、将来起こる事を予知する事は、殆どできない。 しかし、やれる事が一つだけあるとすれば、過去の失敗や悲しみ・苦しみから学び、それを繰り返さないという事 ・・・ 。
ベトナム戦争とは、1960年代からベトナムに於いて、アメリカ軍とベトナム軍の戦いで、結果的にアメリカは勝つ事ができず、ベトナムから撤退を余儀なくされた ・・・ 。
・・・ ぐらいの事は、誰でも知っている事だとは思うんですが、「何故、戦争にまで発展したのか? 」 「どういう戦争だったのか? 」 という事を少し考えてみたいと思います。
1940年に日本軍がフランスの植民地であるフランス領 ※インドシナに進駐すると、第二次世界大戦が終わるまで、インドシナは、フランス軍と日本軍による領有権戦争の最中にあった。 その後、1945年に長崎に原子爆弾が投下された事、日本軍が連合国に対して降伏した事をきっかけに、アジアやアフリカにある多くの植民地で、支配国である連合国の疲弊を好機と見て、軍事行動を伴う激しい独立運動が発生した。
※インドシナ = インド (indo) と中国 (chine) に挟まれている地理的特徴からフランスによって名付けられた。
1946年に、日本軍から奪還したインドシナを植民地支配を続けようとするフランスとベトナムの戦争が第一次インドシナ戦争と呼ばれる。
そして、ベトナム戦争とは、第一次インドシナ戦争の延長上にある戦争のため、第二次インドシナ戦争とも言われる。
宣戦布告無き戦争であるため、ベトナム戦争がいつ開始されたかは諸説あり、ベトナム人同士の統一戦争 (北ベトナムと南ベトナム) という観点からは、※南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム政府軍に対する武力攻撃を開始した1960年、という説が一般的であるが、アメリカ合衆国と北ベトナムの戦争、という観点からは1965年の北爆を開戦とする説もある。終戦はサイゴン陥落時の1975年。
※南ベトナム解放民族戦線 = 越南共産 (ベトナム・コンサン) を略した 「ベトコン」 と通称される事も多いが、これは元来、アメリカ・南ベトナム側による蔑称だったものが、日本にも報道などを通じて入って来たもの。
ベトナム内での独立戦争終結時に、フランスとアメリカがベトナム全土の共産化を抑止するために ※傀儡国家 (かいらいこっか) の南ベトナムを建国した。 しかし、ジュネーヴ協定が定めた統一選挙が行われず、分断国家状態が続いていた。
※傀儡国家 = 「傀儡」 という語は、「操り人形」 を意味する語。 ある領域を統治する政権が、名目では自立した政権・国家ではあるが、実態では他の権力者や人物・政権で、強い支配・統制に置かれている国家の事。
「アメリカの傀儡国家である南ベトナムを打倒して、ベトナム人によるベトナム統一国家の建国を求める戦争」 という観点と、「アメリカを盟主とする資本主義陣営とソビエト連邦 (現:ロシア) を盟主とする共産主義陣営との対立 (※冷戦) を背景とした代理戦争」 という観点もあり、二つの本質を合わせ持ったものが、ベトナム戦争だった ・・・ 。
※冷戦 = 第二次世界大戦後の世界を二分した、アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立構造で、米ソ共に核兵器を保有している事から、直接戦争を起こす事を避けたものである事からも、そう呼ばれる。
ベトナム戦争に参戦した他の国には、SEATO (東南アジア条約機構) の主要構成国である大韓民国 (通称:韓国) やタイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドが南ベトナムを支援して派兵した。
ソビエト連邦や中華人民共和国 (通称:中国) は、北ベトナムに対して膨大な軍事物資支援を行うと共に、正規軍人からなる多数の軍事顧問団を派遣したが、アメリカやSEATO諸国のように前面に出る形での参戦は行われなかった。 また、北朝鮮は、北ベトナム側で飛行大隊を派遣し、ハノイ防空を支援した。
そして、1973年のパリ協定の調印を経て、当時のアメリカ大統領のニクソンは、「ベトナム戦争終戦」 を宣言し、アメリカ軍は撤退を開始した。
これにより北爆が停止されると、北ベトナム軍は、南ベトナム侵攻のための体勢を立て直し、全面攻撃を開始した。 1975年、南ベトナムは崩壊し、1976年、南北ベトナムが統一され、ベトナム社会主義共和国樹立が宣言された ・・・ 。
1960年よりベトナム人同士の統一戦争として開始され、その後アメリカが軍事介入し、15年間続いた戦争によって南北ベトナム両国は、500万人の死者と数百万人の負傷者を出した。 アメリカは、約5万8千人の戦死者と2千人の行方不明者を出した。
第二次世界大戦が終わって十数年しか経っていないのにアメリカは、ベトナムの内乱に手を出し、敵味方合わせて多くの犠牲者を出した ・・・ 。 もし、日本がその大戦で勝利していたら、同じような事をしていたんだろうか? アメリカは、何故そんなに社会主義・共産主義が嫌いなんだろうか?
確かに、社会 (共産) 主義は、独裁者による独裁政治、独裁国家には、なり易いとは思いますが ・・・ 。
解らない事だらけですので、まだまだ私も学習を続けなければなりません ・・・ 。
ベトナム戦争一つ取ってみても、多くの人間が命を懸けて戦った。 そこには、譲れないポリシーや自分達の土地を外部の人間に土足で踏み込まれたくない、など色々な思いがあったのでしょう ・・・ 。
ちなみに、アメリカは、第二次世界大戦終結からベトナム戦争までの間には、1950年朝鮮戦争に介入 (1953年に停戦が成立したが、現在まで終結はしていない) 、1958年レバノン派兵、1961年キューバ侵攻などある。
最後に 「共産主義」 「資本主義」 「社会主義」 の定義について簡単に ・・・
「共産主義」 ・・・ 通常、より平等な社会への実現を目指すために、私有財産制度の全部または、一部を廃止し、財産や富を共有する事を提唱する事。
「資本主義」 ・・・ 社会に貨幣を投下し、それが社会を運動して、より大きな貨幣となって回収される場合、この貨幣が資本と呼ばれ、資本が利潤や剰余価値を生む社会システムの事。
「社会主義」 ・・・ 資本主義の原則である自由競争を否定または制限し、生産手段の社会的所有・管理などによって生産物・富などを平等に分配した社会を実現しようとする運動の総称。
現在ではどの国も ~主義とか、~共和国いうのは、どれかにピッタリ当てはまるというものではなくなり、それぞれがその国の風土や気候・人口数、生産物などあらゆる事を踏まえ、他の国の良い所を取り入れて、国を運営していると思います。 が、例外の国もあるし、敢えて言えば、「どの国もまだまだ発展途上で、地球規模・宇宙規模でちゃんと考えてやってるんだろうか? 」 と思ってしまう事もしょっちゅうですね、悲しいですが ・・・ 。
つい最近、週刊誌の新聞広告の見出しで、ミュージシャンの坂本龍一さんが、インタビュー記事か何かの反原発のコメントで、「核廃棄物を生産し続けるのは、正気の人間のやる事ではない」 と ・・・ 。
ベトナムでは、アメリカ軍が撒いた枯葉剤により現在でもその強い毒素のためにDNAが破壊され、奇形児が生まれているというし、不発弾が多く残っていて、事故が起きているらしい ・・・ 。
もちろん、撒いた後にジャングルに入って行き、ゲリラ戦をやったアメリカ軍の多くの兵士も枯葉剤にやられたみたいですが ・・・ 。
嬉しいニュースでは、日本の女子サッカー、ワールドカップ優勝というのがありました。
本当に感動させてもらったし、嫌な気分を吹き飛ばしてくれました。
選手の一人のコメントで 「何かに後押しされたような感じだった」 と ・・・ 。
私は、「何かって、例えば、何だろう? 」 と考えてみました。
「勝って欲しい」 という日本国民の全員の願い ・・・ もちろんそうでしょう。
被災地の方達を勇気づけるために ・・・ 。 支援してくれた多くの国の善意のために ・・・ 。
考え過ぎかもしれませんが、まだ、それだけでは無かったんではないかと。
原発を抱え、将来や未来への大きな不安を抱えている国の人々の期待もあったんではないかと。
過去に原爆を落とされ、今現在、原発の大きな事故が終息しない状態を世界は、ずっと見守っている。 日本の作る製品は、世界的に見て優秀で、精密なのに故障もなく、耐久性もある。 そんな国の作ったものでも原発は、地震・津波には勝てなかった ・・・ 。 例え、設計や部品など全てアメリカやフランスからの輸入だとしても。
「我が国の原発なんて、いつどうなるかなんて分かったもんじゃない」
「日本の立ち直った姿を見せて欲しい」 「日本に見せて欲しい、これから私達が取るべき道を ・・・ 」
そんな願いが聞こえてくるような気がしてしまいました。
いみじくも、場所は、ドイツ。 相手はアメリカ。
日本の原発事故を受けて、イタリアやドイツは国民投票や選挙で、「脱原発」 の方向性が示された。 日本よりも早く ・・・ 。
第二次世界大戦で、イタリアとドイツは、日本の同盟国でした。 要するに共に敗戦国なわけです。
スポーツと社会的な事を結びつけるのは良くない事かも知れませんが ・・・ 。
長くなってしまいました。
では、また。