東日本大震災から40日以上経ちましたが、新聞、ラジオ、テレビなどのニュースやドキュメンタリー番組で被災地の方々の現状や想いなどを見聞きする度、涙があふれてきます ・・・ 。

 日本国内のみならず、外国からの支援や応援メッセージには、本当に胸が熱くなります。

 そんな中、ソフトバンク・グループの代表、孫 正義さんが原発について語る映像が You Tube にあり、見ていたら、「凄い人だなー ・・・ 」 と思い、「私も原発関連の内容をやはり、やらなければ ・・・ 」 と感じました ・・・ 。

 誰もが、心の動きとしては、震災が起こり、ショックを受け → 余震に怯えながら家族を守らなければならない → 何とか今の生活を続ける → 様々なニュース映像を見て、またショックを受ける → 自分達に何ができるか考える → 福島原発の状況に危機感を持つ → 政府の方針や発表に疑問や怒りを感じる → また余震に怯える ・・・

 この循環で、心身ともに疲れ果てているのではないか? と ・・・ 。

 私のブログは、音楽メインのブログなので、こんな時でも 「良い音楽を届けよう」 「少しでも気を紛らわせたり、癒す事ができれば ・・・ 」 と思い、なるべく休まないで続けました。

 原発に関しての批判は、「なるべく今は、しない方が良いだろう」 という考えもありました。

 「現在、現場で命がけで復旧・沈静化させるために命がけで作業している方がいる」 という事は、もちろん 、原発で働いている方は、地元の人も多く、福島のある子供のインタビューでは、「僕のお父さんは、原発で働いている。 僕も大きくなったら、そこで働きたいんだ。 」 というコメントがあったのも聞きました ・・・ 。

 子供は、親の背中を見て育ちます。 命がけで首都圏の電力を維持するため、日本の政治や産業・文化の中心 「東京」 を守るため、危険を伴う業務をしている。 子供心にそんな親を誇りに思っていた事でしょう ・・・ 。


 しかし ・・・ やはり ・・・ 「原子力」 はダメです。

 子供達のために ・・・

 未来の人類のために ・・・   です。


 映像の音声、少し大きめです。








 孫さんの事を少し ・・・


 孫 正義 (そん まさよし) は、日本を代表する実業家の一人で、ソフトバンク・グループの創業者。 1957年8月11日生まれ。 佐賀県鳥栖 (とす) 市出身。 在日朝鮮人2世の次男で、はじめ通称名の安本を名乗っていたが、後に朝鮮名の 孫 正義 として、日本に帰化した。

 1974年に久留米大学附設高校を中退し、16歳で単身アメリカに渡る。 1980年、カリフォルニア大学バークレー校を卒業。 専攻は経済学。大学在学中に 「音声装置付きの外国語翻訳機の試作機」 を開発して、当時のシャープ専務の佐々木 正氏に1億円で買い取られた。 その資金で、ユニソン・ワールドという企業を立ち上げる。

 帰国後は、自身の経営していた米国企業を売却した資金から事業を計画し、「日本ソフトバンク」 を設立。 ソフトウェアの卸売り業や出版業などを始めた。

 1983年に重い慢性肝炎にかかり、その後3年間入退院を繰り返して苦しい時期を送る。 ただ、その期間は読書に没頭して、病床を格好の充電期間に変えてしまう。 その間のデータベース事業の失敗などで借金ができたが、それを返すために 「電話をする際に自動的に一番安い回線を選ぶ装置」 を発明し、これによって逆に20億円を稼いだ。

 そして、米国 Yahoo!社に多額の出資を行い、1990年に社名から 「日本」 の字を取って、「ソフトバンク」 と改め、1994年には、苦節13年を経て、株式を店頭公開した。

 1996年、Yahoo!Japan を設立。 2000年には、米 NASDAQ と提携して、ナスダック・ジャパン (現:ヘラクレス) を設立。 現在、日本を代表する IT 関連企業となっている。 世界長者番付の2011年版で日本人1位。

 今回の震災の義援金として、個人で100億円及び、2011年から引退するまで、ソフトバンク・グループ代表として受け取る報酬の全額を震災孤児の支援として寄付する事を表明。

 更に、4月20日、太陽電池など環境エネルギーの普及を促進するため、「自然エネルギー財団」 を設置すると発表。 世界の科学者ら、約100人に参加を促し、政府への政策提言などを行う。 今回の被災地地域を中心に 「東日本ソーラーベルト」 を作る構想などを提案した ・・・ との事。




        では、また。