今日は、また、音楽の話はありません ・・・ 。

 昨夜23時半頃、また、宮城県地方で大きな地震がありました ・・・ 。

 私は、ブログも更新し、風呂にも入ったし、そろそろ寝ようとしていたところでした。

 千葉は震度3~4で、1ヶ月前の揺れと比べれば大した事はなかったんですが、「また、来たか? 」 と思ってしまいました。

 ここ1ヶ月間ずっと、余震があり、「いつになったら余震が無くなるんだろう? 」 「もしかしたら、まだ大きいのが来るのか? 」 と思っていた ・・・ 。

 宮城県方面、大規模な停電はあったみたいですが、津波など、大きな被害は無かったみたいなので、ホッとしました ・・・ 。

 それで、今日、仕事をしながら地震の事を考えていて、「この一連の地震が、東京に起きていたらどうなるんだろう? 」 とか、そもそも昔あった「関東大震災って、震源はどこだったんだろう? 」 と ・・・ 。

 「東京で生まれ、下町の墨田区で育ったのに、関東大震災について、こんな事も知らなかった ・・・ 」 と、反省しました。

 
 関東大震災は、今から88年前の1923年 (大正12年) 9月1日、11時58分に発生。
 東京一面が火の海になった ・・・ 。

 震源は、東京直下ではなく、神奈川県相模湾北西沖80km または、伊豆大島北端にある千ヶ﨑の北15km付近。 マグニチュードは、7.9。 (阪神大震災は、7.3)

 10万人以上の人が亡くなり、東京を中心とした大地震だったというイメージがあるが、実は、相模湾沖が震源で、全壊した家屋も東京より神奈川県のほうが多かった。

 7万人以上の死者を出した東京では、火災による死者数だけで4万人前後と言われる、現在の墨田区本所 (ほんじょ) にあった、日本軍被服工場跡地(更地になっていた場所で、避難したが、火炎流が発生してしまった) で焼死した方々を除くと、横浜を中心とした神奈川県の被害は、東京以上だった。

 神奈川県の、約3万3千人と言われている死者数も過半数が焼死だったらしい。

 つまり、実際には 「相模湾沖地震」 と言うべきものだったのが、「関東大震災」 と、名付けられたという事 ・・・ 。

 これ程までの大火災になってしまった原因は、当時、木造家屋が多かった事、昼食時のため、台所で火を使っていた家が多かった事、水道管の普及が始まり、消火活動ができると過信した結果、地震で水道管が断裂し、更に、折からの強風 (能登半島に台風が位置していて、風速10~15mあったという) によって火炎流も起きてしまい、随所で発生した火事に、消火活動が追い付かなかった事 ・・・ などが挙げられている。

 ちなみに津波に関しては、伊豆大島・12m、伊豆半島・伊東で12m、千葉の房総半島・9m、三浦半島・6m、鎌倉で3m。


 ・・・ 心配しているのは、今回の東日本太平洋大地震を引き起こしている海溝のプレートが、相模湾沖のプレートや東海沖のプレートまで、影響するんではないか? という事なんですが、プレートは別々の物なので、それは、関係無いとの事 ・・・ 。

 しかし、もちろん、地震が起きる 「周期」 というデータで考えると、用心しなければならないというのは、何年も前から言われている事です ・・・ 。

 そして、東海沖地震に関して言えば、四国の方まで伸びているそれ以外の2つのプレートがあり、大地震が起きてしまうとその中の2つ同時、或いは3つ同時 (数日~数年の間に) に起きる可能性もあるとの事 ・・・ 。



 恐い話しになってしまいましたが、今回の震災を教訓に、今一度、色々な事を肝に銘じたいと思います ・・・ 。






      では、また。