2011/10/2

そもそもニットカフェを開きたいと思い始めたのはいつからだろう・・・。

編み物の仕事をしたいと思って編み始めたのは11年前。長男の妊娠を期にあみぐるみを始め,レース編み,ビーズ編み,小物雑貨を片っ端から編みました。

その後5年くらい前になるのかな。

ネットで関東や関西でニットカフェが始まり,その単語を知ったときから「秋田にあればいいのに」と思っていました。でもどんなに待っても出来ないし,ニットカフェという単語を知らない人の方が多いの。

たまに編み物好きを集めて家やコミセンに集まってお茶しながら編み編みしてる空間が大好きでした。編み物の話ばかりではなく,子育て,家庭のこと,仕事のこと,環境についてなどなど。情報交換も出来るし編み物も出来るしお茶も飲めるし。子育てまっただ中の頃はまったりのんびりとした2時間がほんとに貴重でした。

そして自分の環境が整い,そろそろニットカフェについて本気で考えなきゃって思ったのが2010年春。

でも何をしていいのか分からなくて構想を膨らませたり,手話講習をうけたりひたすら編み続けたり・・・。自分の経験値のなさが情けない。

それでも何かしたくて2010年11月から「ならやま日曜はしご市」というイベントに参加させてもらうことにしました。

自分に何が出来るか分からないけど,出来ることから始めよう。やらないで後悔するよりやって後悔した方がぜったい前に進んでるはずだから。

11月~2月は吹雪だったり大雪だったりで寒くて大変でしたが,いろんな方との繋がりや出会いがありました。
電気もガスも無いけれど,キャンドルナイト実行委員会の方と知り合いキャンドルを分けてもらって環境問題に取り組んだり,新米が取れたら上小阿仁の農家さんが売りに来たり,農閑期に作ったバックを売る方もおり。

そして3月11日。東日本大震災。

幸い秋田は大きな被害もなく電気も復旧し物はなくてもいつしか普通の暮らしが戻ってきました。

でもなんか落ち着かなくて。

自分は被災地に行くことも出来ず。何も出来ないもどかしさ。

居ても立ってもいられず,3月のはしご市も参加してチャリティーフリマをして売り上げは義援金にしようと決めました。振込先は日本赤十字。とりあえず半年間の9月まで続けようって思って近所のおうち一軒一軒まわってチラシを配り,生活不要品をかき集めました。
みなさんとても協力的でたくさん品物があつまり,学校のバザーの様ですがフリマをすることが出来ました。


そして半年後の9月。振り込み総額は128,440円!

今後の振込先はまだ未定ですが,10月からもチャリティーフリマは続けていこうと思います。スタッフとも話し合いましたが,チャリティーだから楽しくがんばれるよねって。


アメヤ珈琲さんは7月から参加して下さいました。そしてそれがきっかけで,私のニットカフェの夢がだんだん現実味を帯びていきました。

アメヤさんの豆を扱わせてもらえるなんてほんとに願ったり叶ったりで申し訳ないくらいでしたが,このチャンスをのがしたら一生後悔するし,二度とこんな話ない!って思って素直にご協力ねがうことにしました。アメヤさん,ほんとにいい方で,私の話をよく聞いてくれていろいろなアドバイスを下さいます。

9月のはしご市には大工さんにも雰囲気を分かってもらいたくて来ていただきました。ほんとに穏やかないい人でこの出会いにも感謝です。

10月に入り,保健所に行ったり大工さんと電気屋さんと塗装屋さんにもきてもらったりとますます忙しくなりますが,こういう忙しさはまったく苦になりません。楽しくてしかたない。

想定外なのは父。今年70になる父がすごく積極的に参加してくれています。大工さんや大家さんとの話し合いにも来てくれるので私が気がつかないことを聞いてくれたりお店の図面をおこしてくれたり,ほんとに役に立っています。まだまだ元気なのでいい刺激になっているようで,私も甘えてお願いしています。三女の役得(笑)

現段階でも出来ることと出来ないことの限界を見極めつつ,おいしい珈琲が飲みながらニット雑貨を眺めたり買ったり注文したり編んだりできて,聾唖の方たちも気さくに立ち寄って手話を楽しめて,点字絵本をさりげなくおいてみたり,子連れママも休憩所にもなり,フリースペースで個展を開いたりっていう地域に根付いたコミュニティカフェに発展してくれたらいいなって思っています。

 

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この思い、12年たっても色あせてないことに気づく。

コロナ後は手話カフェしていません。

時々手話の仁村先生がお店の前を通って挨拶していってくれます。

 

いろいろ変わったところもあり、

学び、気づき、進化していけますように。