ちょっと疑問に思ったことがある。
日本語は、中国から漢字を借りて、そこからひらがなやカタカナを作り出し、漢字の持つ意味にあった和語を当てたりもした。
中国大陸とやり取りしていた時期に使われていた読みを、日本人たちは異なる読みとして、音読みをアップグレードさせていって、呉音、漢音、唐音、宋音などと、それぞれの時代ごとの音読みが残った。
また、漢字を借りる以前から使われていた和語は訓読みとした。
中国では、新しい概念には新しい漢字を作って対応していたんだろう。
日本もそれに習ったこともあっただろうが、二文字以上の漢字を並べることで熟語とした。
例えば2文字の熟語は、すべて音読み、すべて訓読み、重箱読み、湯桶読みなどと、音訓入り混じったものもある。
新しい熟語が出来たとして、その読みは最初に読んだ読みが正しいものとされたのだろう。
方や、そうとは知らずに別の読みが市民権を得てしまうことも多々あって、それらは慣用読みなんて呼ばれたりする。
さて、ここからが本題。
間髪という熟語の正しい読みは、「かんはつ」であり、「かんぱつ」は慣用読みだという。
この熟語がいつ出来たのかはわからないけれども、例えば平安時代にはあったとしたならば、当時の日本語にはハ行の音はなく、パ行を使っていたということで、「かんぱつ」だったのではなかろうか。
なんていう妄想が頭を過ったのである。
自分の両親は理容師で、父は池袋の一等地に店を持っていた。
みなさん、床屋に行くとか、髪を切りに行く、散髪してくる、なんて表現するだろう。
こちらは「さんぱつ」が正しいとされ、「ざんぱつ」は慣用読みとしてあるようです。
例えば、助数詞で、一発、二発、三発、四発、と並べてみると、どうだろうか。
一発の読みは「いっぱつ」で、二発の読みは「にはつ」。
ここまでは、おそらく異存はないだろうか。
三発は「さんぱつ」「さんはつ」、四発は「よんはつ」「よんぱつ」と、かなり揺れるのではなかろうか。
六発は「ろっぱつ」「ろくはつ」、八発は「はっぱつ」「はちはつ」と、いったように揺れるかもしれない。
他にも、
一泊、二泊、三泊、四泊、…
一班、二班、三班、四班、…
一版、二版、三版、四版、…
いずれも同じように揺れるかは人それぞれかなと思う。
三と四の「ん」は異なる「ん」なのだろう。
どうやら、「ん」の発音は6通りはあるようだ。
例えば、新橋と新宿の「ん」は同じ新だが、後に続く文字で異なる「ん」となっている。
これに関しては、システマティックに、「ん」のあとに続く文字が、b、p、mのいずれかであるか、そうでないかということだ。
新橋をローマ字表記するとShimbashi
新宿をローマ字表記するとShinjuku
といったように、駅名標にも現れている。
50年以上日本語に触れ、日本語を使用してきたからか、どちらが正しそう、どちらが正しくなさそうという感覚はある。
間髪は本当に「かんはつ」が正しいのだろうか。
言葉は生き物である。
時代や場所や状況が変われば読みが変わるなんてことは普通にある。
現代人が平安時代のような言葉を使っていないことは解っている。
それを解った上で、正しい、正しくないという判断はどうされるべきなんだろうか。
ではでは