7/15(土)の14:00から宝生能楽堂で行われた『第二回掬月会』に出演させていただきました!

 



 

まず、今回、能の舞台に出演させていただいたきっかけですが、

 

昨年発売した、智恵子抄のCD(https://amzn.asia/d/d6RUZ8P

の録音前に、当時麻布高校に在学中だった水上達君(水上優先生のご長男)に、智恵子抄の4曲目の「晩餐」、能の謡を応用してると思うのだけど、どうおもう?と、気安く聞いてしまったことがきっかけです。

 

その時、達君はよくわからないので「父に聞いてみます」と言って帰ったのですが、そのあとすぐに達君からメールがあり、「ヨワ吟」「ツヨ吟」という二つの音声ファイルが送られてきたのです。なんと水上優先生が「晩餐」の歌詞を謡ってくださったものでした。

 

が、しかし、実はそのデータは壊れていて、音飛びして良く聞こえなかったのです。

 

そこで、もし元のデータがあれば別の方法で送ってほしい旨伝えると、なんと、2回目を新たに水上先生が録音しなおして送ってくださった!!!!!

 

そんな驚愕の経緯があったのです。

今考えると図々しいにもほどがあると思うのですがw

 

その時は自分のCDの録音間際だったので、これが無いと自分は晩餐を歌えない!と切羽詰まった状態だったので、言えたのだと思います・・・

その音源があったからこそ、無事に?CD収録ができたのです!


このような経緯で、水上家には足を向けて寝れない、関係となりました。

 

 

 

そして、今年2月に行ったCD発売リサイタルに水上先生の奥様がいらしてくださり、今回のお話を頂きました。

 

(当初は、自分に何ができるかすごく悩み悩み悩み、思いつかないので辞退しようかとも考えたことは内緒です)

 

 

きっかけとなった〈晩餐〉は必ず歌わねばならぬと思っていたのですが、ピアノがない能楽堂でどのように演奏するか、悩んでいたのです。。。

 

水上先生と打ち合わせする中で、「草紙洗」を舞われると聞き、ひらめいたのでした!


 

それなら僕も和歌に関する声楽作品、


平井康三郎作曲:〈平城山〉を歌おう!と。


そして〈平城山〉はお箏の伴奏が絶対に合う!!!伴奏はお箏の方にお願いしよう!と。

 


水上先生に許可をいただき、すぐさま、藝大の同級生、生田流筝曲演奏家の福田恭子さんに依頼!


ついでに〈晩餐〉も伴奏をお箏でお願いしまーす!みたいなノリでとこれまた気安く無理難題をなすりつけてしまいました。

 

そうなんです。晩餐はピアノでも弾ける人は数人しかいないであろう超難曲🤪


福田さんにはものすごく格闘していただいたのでふが、 どうやっても晩餐は13弦の普通のお箏では弾けないとのことで、

 

どうするか、悩みに悩んでくれ、


またまた僕と福田さんの同級生で、僕と何度も〈晩餐〉を戦ってくれた、作曲家の小林浩三君に〈晩餐〉を箏バージョンにアレンジしていただき、17弦のお箏なら可能だぁ!とのことで、今回の演奏か実現したのです!!

 



 手前の大きい箏が十七弦!



今回もいろんな方に助けて頂き、無事に演奏を終えました!!本当にありがとうございました!!




さて、今日の私の紋付袴姿に驚かれた方も多いと思うのですが、、、


 

水上家の紋付袴で演奏させていただきました。


お能のお家元の紋付袴など、僕には恐れ多くて着られないと一旦はお断りしたのですが、当日はルンルンで、水上先生に着せていただくという、この上ない贅沢をさせていただきました。

 

これこそ一生に一度の経験!!!!!!

 

本当にありがとうございました!

 



写真は福田さんと、あまりによく似合う私の紋付袴姿を載せておきます。


またと無い、本当に本当に本当に貴重な経験をさせて頂きました。


心から感謝申し上げます!

ありがとうございました!



  

以下は、時間の関係で多く割愛させていただきました、本日話そうと思っていた「声楽作品と能」についてのメモです。


よろしければご覧ください。



●博士課程で日本歌曲を研究した。日本歌曲とは→
日本語の歌詞がついた西洋音楽で、和洋折衷のクラシック音楽。明治期以降に西洋音楽が導入されてから作られ始めた。日本語の芸術歌曲。
ドイツリートを応用して作られはじめたが、日本語(高低のアクセント)とドイツ語(強弱のアクセント)ではアクセントの形態が異なるため、瀧廉太郎を皮切りに、山田耕筰、など、すべての日本人作曲家が苦戦している。正解は出ていないのかもしれないけど、それが面白いところ。

●それ故→
日本人の作曲家は、日本の伝統的な歌や舞台作品の日本語の扱い方を応用して、声楽作品を作曲して行った。山田耕筰は、歌舞伎。今日演奏する平井康三郎は、端唄、浪曲、義太夫。別宮貞雄は、能狂言の謡。
西洋的なオペラティックな歌唱法を求める日本歌曲も多くあるが、日本の様々な伝統的な歌唱を聴いたり、歌ったりすることで、作曲家が目指したものが見えてくる。

●日本歌曲を歌うに当たって→
西洋の発声法に日本語を乗せているからか、声楽家は日本語を明瞭に発音することを常に意識している。前回客席で拝見したときに、水上先生の発する日本語が明瞭で(単語の意味はわからないものはあるものの)全て聞き取れたことにおどろいた。どうしてあんなに明瞭な日本語を発することができるのか、意識して発音していることがあるのか伺ったら「考えたこともなかった」という答えだった。
声楽家が常に明瞭な日本語で歌うことを目指しているのは、もしかすると我々が歌っている音楽が、日本語の歌詞を用いた西洋音楽で、和洋折衷だからこのような工夫が必要なのかもしれない。または、相手に言葉で、ダイレクトに伝える西洋の文化を汲んでいるのか。


謡のような、もともと日本語に日本の音楽がついている、歌唱にはそのような配慮がそもそも必要ないのかも知れない。
これは今後も研究したい、なんて思いました。

●選曲の理由とそれぞれの曲について→
1曲目は歌人・北見志保子と平井康三郎による平城山。今回は、草紙洗を舞うということで、和歌に作曲された日本歌曲を選曲した。本来ピアノの伴奏の日本歌曲だが、今回は箏で伴奏。福田ヤスコさんは、藝大の邦楽科出身の同級生。博士号を取得された箏曲演奏家。「人に恋することは悲しいものだと、平城山を巡りながら、辛く感じた。昔の人(イワノヒメノミコト=古事記では嫉妬深い)も夫(仁徳天皇)に恋しつつ、越えたという平城山の道で、私も涙を落とした。」という内容の歌詞。


2曲目は、水上家とのきっかけとなった智惠子。
詩人・彫刻家の高村光太郎(生誕140年)が、妻の智惠子との出会いから死までをまとめた詩集「智恵子抄」に収められている。芸術家同士の恋愛、しかも、高村光雲の息子ですでに名の知れた詩人・彫刻家の高村光太郎の悪質なゴシップが多かった。美術関係や文学関係者からの批判も多くあり、ひどく悩まされたが、悪く言われれば言われるほど、二人の絆は深くなっていった。
歌い始めに、「しけを食らった土砂降りのなかを」と始まるが、これも、もしかすると、ただの雨ではなく、激しく光太郎に叩きつけられていた、悪いゴシップや噂話なのかも知れない。親などを含めた周囲に理解されない葛藤が、激しい跳躍のあるメロディによって描かれている。このスケールの大きさ、ダイナミックさを表すのに、別宮貞雄は謡を応用して作曲したのであろう。

歌詞の最後に、「貧しい晩餐はこれだ」と言って終わるが、当時の一般的な家庭の食事は、ご飯、味噌汁、お新香、に海苔だったようで、歌詞に出てくるおかずはかなり贅沢であるが、光太郎にとって、この晩餐は貧しかったのかも知れない。もっと豪華な晩餐、もっと、にぎやかな晩餐、心が豊かになるような晩餐を望んでいたのかも知れない。

 

 

さて、来週はドイツリート!

詩人の恋!です!頑張ります!