組歌《四季》

 

 組歌《四季》は、春夏秋冬にちなんだ4曲構成の「組歌」として、1900年に廉太郎が出版したデビュー作である。《四季》の冒頭に「近年、日本における西洋音楽は進歩発展しているが、これらは唱歌、すなわち学校の授業で扱う教材であり、その中のレベルが高いものは西洋の歌曲の旋律に日本語の歌詞をつけたものである。これでは原曲の水準や世界観が損なわれてしまっていることは、誰しもがわかっている。私がその欠点を補うには力不足かもしれないが、常にこれを悔しく、残念に思い、これまでに研究した日本語の歌詞に基づいて作曲した曲を発表することで、今後の日本語の歌の道の発展に役立つのではないか。」という旨の緒言を記している。

 まだ留学もしていない若き青年が、〈荒城の月〉や〈箱根八里〉などの単旋律の唱歌よりも前に、詩と旋律に関わりを持たせ、様々な構成で出版したこの組曲は、非常に革新的な作品である。《四季》は「唱歌」(学校の教材)ではない、日本における芸術歌曲の第一号で、廉太郎は日本の芸術歌曲の道を切り開いた作曲家である。

 

 

  緒言

組歌《四季》の緒言には以下のようにつづられている。

「近来音楽は、著しき進歩、発達をなし、歌曲の作世に顕はれたるもの少しとせず。然れども、是等多くは通常音楽の普及伝播(でんぱ)を旨とせる学校唱歌にして、之より程度の高きものは極めて少し。其稍(そのやや)高尚なるものに至りては、皆西洋の歌曲を採り、之が歌詞に代ふるに我歌詞を以てし、単に字句の数を割当るに(とど)まるが故に、多くは原曲の妙味を(そこな)ふに至る。中には(すこぶ)る其原曲の声調に合へるものなきにしもあらずと(いえど)も、素より変則の仕方なれば、これを以て完美したりと称し難き事は何人(なんびと)も承知する所なり。余は敢て其欠 を補うの任に当るに足らずとも雖も、常に此事を遺憾とするが故に、これ迄研究せし結果、即我歌詞に基きて作曲したるものゝ内二三を公にし、以て此道に資する所あらんとす。幸に先輩識者の是正を賜はるあらば、余の幸栄之に過ぎざるなり。明治33年8月 瀧廉太郎」

 

これをわかりやすい文章に置き換えると

「近年日本における西洋音楽は、著しい進歩と発展をなし、作られる歌曲は少なくない。しかしながら、その多くは音楽の普及のための、学校唱歌の教材であり、これよりレベルの高いものは極めて少ない。そのうち、少しレベルの高いものは、西洋の歌曲の旋律に原曲の歌詞に代えて日本語の歌詞を付けており、それは単に、音符と同じ数の言葉を合わせただけであるため、原曲本来の良さが損なわれてしまったものが多かった。中には原曲と非常に合うのも無いわけではなかったが、もともと歌詞のつけ方が変則であるため、これによって作品の水準や世界観が完全で美しいと言い難いことは、誰もが承知している。あえて私がその欠点を補う役割を背負うには力不足かもしれないが、常にこのことを悔しく残念に思い、これまで研究した結果、日本語の歌詞に基づいて作曲したものの中から2、3曲を発表することで、今後の日本歌曲の道(発展)に役立つのではないかと考える。この発表で幸いにも先輩有識者に助言を頂けることがあるなら、私にとってこれに過ぎる幸せはない。」

 

西洋音楽の導入に際し、現状を認識し、問題点を把握し、どのような方法で日本語の作曲をしていくべきかを述べている。

外国曲に日本語の歌詞を当てはめる「作歌」を行うことで、作品の水準や世界観が失われ、原曲本来の良さが損なわれてしまうことを問題視した瀧は、日本人の作った詩に作曲することをいち早く行った。

 

  〈花/Hana〉

東京音楽学校の教授を務めた国文学者の武島羽衣の作詞で、文明開化、日本における西洋音楽の幕開けともいえる曲である。西洋音楽の作曲技法で作られているが、旋律の端々に日本人の心が感じられる。廉太郎は西洋音楽を消化したうえで、日本独自の音楽として《四季》を世に送り出している。

 

芸術歌曲として世に送り出している〈花〉であるが、リズムでは当時流行していた軍歌を感じる部分もある。伴奏を管弦楽に書き換えると金管楽器の響きが特徴的に奏でられるであろう。

 

歌詞の「隅田川」の部分では、5音音階を用いて印象的にこの曲のテーマともいえる「隅田川」を奏でている。

 

最後の「ながめを何に」の部分で多くの演奏者がrit.しながらフェルマータに進むが、楽譜にそのような記載はないため、フェルマータまではスピードを緩めずに進む必要がある。

 

 

  〈納涼/Suzumi(Nouryou)〉

作曲当時、西洋の旋律に日本語の歌詞を当てはめた「唱歌」が多く作られていた。東京音楽学校では「作歌」という科目が必修で、多くの国文学者や歌人が教壇に立ち、生徒は音楽とともに作詞も学んだ。廉太郎は夏の歌にあてる歌詞を、ピアノと和声の研究をしていて、作歌が得意な2年上の東くめに依頼した。“のうりょう”として知られているこの曲は、歌詞で“すずみ”と歌われているため、曲名は“すずみ”と読むのが妥当であろう。

  〈月/Tsuki〉

山田耕筰が編曲した〈秋の月〉がよく知られているが、原曲は無伴奏の四声体で作曲されている。作詞は廉太郎によるもので、従兄の瀧大吉の妻が作った「月ごとに月の光はかわらねど、あわれ目にしむ秋の夜の月」という詩からヒントを得たのではないか、と廉太郎の妹トミが残している。

  〈雪/Yuki〉

コラール形式で作曲され、オルガンのパートも書かれているこの曲は教会音楽の要素が強く感じられる。中間部の各パートのソロは、当時東京音楽学校の演奏会でよく演奏された、シューマンの〈流浪の民〉が影響しているのではないだろうか。

 

 

  まとめ

組歌《四季》は、唱歌ばかりが作られていた時代に、唱歌(教材)の域を超えた、芸術歌曲の第1号として作曲された。

西洋音楽の作曲方法、音階で作曲するのではなく、日本人の感覚になじみのある5音音階(47抜き音階)を織り交ぜている。5音音階を特徴的に使用することで、西洋音楽の中に日本っぽさを感じる曲に仕上げている。(料理でもそうですが、外国の料理をそのまま出すのではなく、日本人の口に合うようにアレンジし、作者の工夫を織り交ぜることが得意な日本人、コピーするだけでは気が済まない日本人の気質は、120年前に《四季》を作曲した瀧廉太郎もすでに持っていた感覚だと思うと興味深いです!)

 

【今後も随時追記していきたいと思います。不明な点などがありましたコメントを頂けますと幸いです】

 

 

 

2019年2月14日発売「Re -瀧廉太郎作品集-」トーンフォレストレコード解説。

2016年東京藝術大学修士論文『瀧廉太郎の詩と旋律の関わりについて―その革新性―(紀野洋孝)』。

麻布中学・高等学校紀要-第7号-『声楽的観点による唱歌導入の弊害-日本語歌唱の一考察-(紀野洋孝)』より