★世界的指揮者 小澤征爾さんが、2月6日、88歳で亡くなられました。謹んで哀悼の意を表します。わたしの印象に残っている小澤さんの演奏を振り返ります。

 

武満徹「ノヴェンバー・ステップス」ほか 小澤征爾指揮 トロント交響楽団ほか 1967年12月録音

日本の、武満の曲を世界に知らせたいという強い意気込みが感じられる演奏です。「乾坤一擲」とは、このことでしょうか。 鶴田錦史(琵琶)の撥はじき、横山勝也(尺八)の息づかいはもちろん、小澤の熱い意志がほとばしる演奏です。

 

 

チャイコフスキー「弦楽セレナード」、モーツァルト「ディヴェルティメント K.136」「セレナード アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1992年9月録音

オーケストラの団員にとって、恩師齋藤秀雄との忘れがたい曲目が集められたCD。このオーケストラの弦楽陣の底力が発揮された演奏です。チャイコフスキーの「弦楽セレナード」では、第1楽章冒頭、激しく始まる高弦による主題、それを力強く支える低弦の響き、そして第2楽章ワルツの美しさに心ひかれます。第3楽章のエレジーは、恩師とのこの曲の練習の思い出を知ると、涙なくして聴くことはできません。静かに始まる第4楽章は、自由に羽を伸ばすように展開し、最後に第1楽章冒頭の主題が戻ってきます。今度は弦の中音部による主題と高弦による支え。最後、演奏が終わったかと思うと、低弦のブーンという余韻がかすかに聞こえてきます。

 

 

 

ベートーヴェン「交響曲第3番 英雄」「エグモント序曲」 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1997年4月録音

小澤のベートーヴェン交響曲全集の第1弾として録音されました。「英雄」はもちろん、「エグモント序曲」も、大変な名演だと思います。小澤は「エグモント序曲」をよほど気に入っていたのでしょう、ボストン交響楽団とも1981年1月に録音しています。ボストン響とのときは、もう少しゆったりしたおおらかな演奏でしたが、サイトウ・キネンとの演奏は、細部まで彫琢(ちょうたく)を極めた演奏です(注 小澤/サイトウ・キネンのベートーヴェン交響曲全集は、英雄よりも前にライブ録音した交響曲第7番を加えて完成されました)。

 

小澤がウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したときに、ウィーン・フィルとベートーヴェンの交響曲を録音してくれたらなあという希望をもっていましたが実現しませんでした。小澤としても、サイトウ・キネンとの組み合わせのほうが、自分の意志を貫くことができたのでしょう。

 

 

バッハ「マタイ受難曲」 小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラほか 1997年9月ライブ録音

「マタイ受難曲」をこよなく愛した武満徹が、小澤とサイトウ・キネン・オーケストラによる演奏を熱望していたとのこと。武満の生前には実現できませんでしたが、1997年に周到な準備のもと、ようやく実現しました。

 

私の「マタイ受難曲」の鑑賞遍歴は、カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団による1969年の日本公演に始まります。生で聴いたわけではなく、NHK FM放送をオープン・リールの家庭用テープ・レコーダーで録音しました。受難曲の内容は全く分からず、ただバッハの代表曲だからという理由でエア・チェックしたのだと思います。エルンスト・ヘフリガー(テノール)の福音史家の声だけが印象に残りました。その印象が強烈だったため、小林道夫のピアノ伴奏によるヘフリガーのシューベルト「美しき水車屋の娘」(1970年日本での録音)のLPを購入し、それにのめり込みました。20歳代前半の甘酸っぱい思い出です。その後、神奈川県立音楽堂で行われたハンス=ヨハヒム・ローチェ指揮ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団による公演を聴きました(1975年6月24日)。次いで、初めて買った「マタイ受難曲」のLPが、リヒターによる1979年の演奏です。ペーター・シュライヤー(テノール)の福音史家、フィッシャー・ディースカウ(バス)のイエスの声に感動し、イエスの声につける弦の美しさに魅せられました。添付の対訳を見ながら聴いていましたが、とても内容を理解していたとは言い難い状態でした。リヒターの代表的名演と言われている1958年の録音を聴くのは、ずっと後で、CDによってでした。ステレオ初期の録音ではありますが、大変優れた録音で、1979年とは異なる峻厳な演奏には驚きました。この頃には、ある程度ストーリーはつかめるようになっていました。

 

小澤の「マタイ受難曲」はピュアな演奏です。本場ドイツの人が演奏するように伝統に裏付けられた演奏とはいえませんが、その分、真摯にバッハの楽譜を読みこみ、それだけではなく、バッハの研究で著名な磯山雅さんの講義を、小澤をはじめオーケストラの楽団員が聴き、勉強したそうです。こうして実現した「マタイ受難曲」は、まさに純粋で、曲の美しさがにじみでるような演奏となりました。

 

小澤征爾さんのご冥福を心よりお祈りいたします。