私とロンドン、No.18~前編
「私は君を尊重する。」
いきなりジョン・ヘーン・チューターはそう言った。
いきなりのことで、こちらは面食らった。
アート・カレッジに入って間もない頃のことだ。
作品を持って再度インタビューが行われたとき、私は黙って作品をチューター(アート・カレッジの教授)に観てもらっていた。私には語学力があまりなく、そのため特別に面倒を見てやる、ということだった。ジョンは私の担当教官となってくれた。
私が「サー」をつけて呼ぶと、
「私はサーではない。ジョンだ」
と言った。
カレッジからは、ほぼ毎週のように約1,000ワーズの小論文提出が義務づけられた。A4用紙1枚分である。最初はきつかったが、すぐに慣れた。三、四回書いているうちに、日本語で考えた下書きを書かず、英語で考え、いきなり英語で清書できるようになった。この成長には自分でも驚いた。
アート・カレッジのキャンティーン(学食)は、カレッジによってまったく違う。キャンバーウェル・カレッジ・オヴ・アーツのキャンティーンは広かったと思う。二百人以上はいただろう。
そんな中で、私はある日、気になることがあった。
よく見ると、後ろのほうに特定の学生たちが固まって座っている。だが、その学生たちは、いつも授業では見かけなかった。
私は校舎の中をよく見て歩いた。すると、校舎の隅にある小さなスタジオ一室に、ボロボロのイーゼルを並べ、窮屈そうにドローイングを描いている学生たちがいた。その一室にだけ、彼らは集められていた。モデルもいなかった。
私は彼らに話しかけた。
いつも静物画をデッサンさせられているという。授業料も違う。チューターも見に来ない。コースも名ばかりで、ペインティングもデザインも関係ないそうだ。
そして、キャンティーンで彼らが食事をとっている姿を、私は一度も見たことがなかった。
私は授業でさまざまなスタジオを飛び回っていたが、彼らはそうではなかった。
明らかに、置かれている状況が違っていた。
私は一人、考え込んだ。
そして気づいた。ほとんどの学生たちは、誰一人として彼らと話をしない。
(つづく)
2025,12,24
長島一則