『私は奇跡を見た』

~ 超能力エネルギーの神秘 ~
政木和三

 

 

 

第五章 ひらめきを生かす

 

 

第六節 私の生い立ち

 

 

 

 笠形山を源として流れる岡部川の清き流れの片田舎、瀬加村瓜生田(兵庫県神崎郡市川町瀬加)に大正五年五月二十六日(宿曜道:婁宿)に私は生まれた。

 政木家の先祖は、千数百年以上の昔、この地の山の守として着任したという。

 『住まいを、いずこにすべきかと思案のとき、西の空より、絹の長き布のごときものが、天空を流れ来たり、山の松の枝に止りける。

 我が先祖、そこを住まいと定めけり』

 と伝えられる。

 現在もその場所は、土屋敷として、名だけ残り、山腹に少しだけの平地がある。

 子供ごころに、本家のおじいちゃんが神に祈りを捧げていたことを覚えている。

 ある日、ローソクの火が消えた。

 すると、

 『ああ、あの人は死んだ』

 と、ひとりごとを唱えた。

 その直後、

 『大変お世話になりましたが、死にました』

 と使い人が走って来たことを思い出す。

 私は小学校一年生のころから、どもるようになった。

 それを治そうと、天玄堂本院と言う所から、気合術の本を取り寄せて、座禅と千里眼の修業をした。

 それは小学校四年生の頃であったと思われる。

 正座して、一分間一呼吸を行ない、それを百以上数えることによって、精神統一を行ない、真暗な眼前に光点見出そうとするものであった。

 その頃、先に紹介した乳母車の発明をしたりした。

 小学校を終えたころ、私達の村から上級学校に進むものはいなかった。

 しかし、私は工業的なことが何かしたかった。

 十六歳のころ、神戸に出たとき、三宮の近くにOKラジオ研究所という会社があった。

 その会社の仕事を見ている内に、どうしても入社したくなり、無理にお願いして就職した。

 そして一年半ほどで、全ての仕事がわかると、その原理を知りたくなり、工業学校へ入学するために、大阪に出ることにした。

 そのころ私は、あらゆる出来ごとに疑問を持ち、あらゆる人に質問の雨を降らせていた。

 私のあだなは

 『なんでやろ。不思議だな』

 であった。

 そのようにして、関西工高電気工学科に在学中に大阪帝国大学の川原琢磨先生に見出され、卒業と同時に阪大の研究所に勤めることになった。

 最初は通信工学科であったが、戦争の始まる気配により、航空の必要性のために、航空工学科の流体力学研究を行ない、熱線風速計による乱流測定器を完成した。

 一枚の赤紙により、航空兵として八日市飛行場に応召した。

 部隊長の双発の飛行機の故障のとき、その場所を速座に明示したために、内地に残ることとなった。

 私達の同輩は、北のカラフト(今のサファリン)または南方へ行き、三割以上も戦死したようである。

 そして召集解除後、学校では、内閣から戦時研究員の任命があり、高高度の飛行機用エンジンの研究を命ぜられた。

 そのうち、サイパン、テニヤン島が落ちたとき、私は日本の敗戦を感じ、このままではだめだ、何とかしなくてはならないと思い、新兵器、数種を提出し、東条首相に直接進言に東京へ向かった。

 当時の汽車は、

 『つばめ』

 か

 『はと』

 であり、大阪東京間は八時間以上かかった。

 朝大阪を出て、東京でまだ行ったことのない親戚で、一夜の宿を乞い、翌朝首相に面会を求めるつもりであった。

 東京駅へ着いて

 『はっ』

 と気付いた。

 ポケットに入れておいたはずの親戚の住所を書いた紙がないのである。

 今であれば、電話もあるが、戦前のことで、私の家にも親戚の家にも電話はない。

 はたと困ったが、ふと頭をかすめたのは、前にその親戚の子供が、私の家へ遊びに来たとき、二階に昇ると神宮が見えると言っていたことであった。

 そこで山の手線に乗り、神宮の近くで下車し、交番で聞いたが、石原の姓だけでは、わかるはずがなく、気の向くまま神宮の森を直線的に約一時間歩き、正面につき当った家に石原の表札があったので、中に入り

 『お宅は大阪に親戚はありませんか』

 と聞いてみた。

 中から子供が飛び出してきて、

 『政木さんが来た』

 と言う。

 ほっとした一日であった。

 新兵器は採用になったが、試作途中で終戦となり、使われることはなかった。

 私は平常は無口であった。

 しかし、これをやり遂げなくてはいけないと思い立てば、どんな困難でものり越えてやるだけの信念を持っている。

 東条首相に面会を求めて東上したときは二十六歳であった。

 私の母は信仰心が非常にあつい人だった。

 異状とも言えるほどのものである。

 水の行として、寒中に凍らせたバケツの氷を割って、それを朝方四時ごろにかぶっていた。

 また、火の行と言うのがあって、一束の線香に火をつけ、腕の上でそれが燃えつきるまでがんばっていたことを、小学生のころ見たことがある。

 いまでも、両腕とも腕の肉は欠けたままとなっている。

 その息子の私には、全く信仰心は欠如している。

 神仏の前で拝む心は、全く持合せがなかった。

 人間は人間だけであって、この世の中に見えるもの、触れるものだけが現実であって、その他の宗教上のものは全て架空のものであると信じていた。

 それが、昭和四十八年ごろから身辺に奇跡が起こり、そして第八次元の天玉尊先生の出現と奇跡によって、別の次元で、精神面の大きなエネルギーの存在を認めるようになったのであった。




私は奇跡を見た
初版発行:昭和53(1978)年1月10日
10版発行:昭和59(1984)年3月15日
著者:政木和三
発行者:瓜谷侑広
印刷所:藤印刷 株式会社
発行所:株式会社 たま出版
    〒162 東京都新宿区納戸町33
    電話 03-269-4367
    振替 東京3-94804
0014-0023-4354
1978©
ISBN 4-88481-023-6 C0014 ¥980E

 

 

 

 政木先生とのご縁の始まりは、
令和元年七月一日に他界しました昭和五年生まれの私の実父が小学生時代の頃より電気のイロハを教わり、
(実際に、電気ギター制作等々、様々な電気技術のご教授を、家族ぐるみのご近所付き合いの中で個人的に無償で賜ったそうです)
その後、御晩年には、政木先生の素晴らしいご発明品の集大成のひとつとして
“世のため、人々のため”に御余生をかけ陰徳にご尽力なさいました
超強力 神経波磁力線発生器
(改名機器、インパルス磁力線、そして、Mリング。すべての御販売は㈲政木研究所、㈲ケントにて)
の製造に至るまで、数々のお仕事をお世話頂き、
政木先生がお亡くなりになる最後の最後まで、私も含め家族ぐるみのお付き合いを賜わり、
今も尚、心の底よりとても尊敬し、感謝している恩師・師匠です。

 

 

 政木和三先生の廃刊御著書

 

~ 超能力エネルギーの神秘 ~

『私は奇跡を見た』

 

を掲載させていただいています。

 

 

 

 政木先生の御教えである

『目先の欲望を捨て去り、世のため、人々のために尽力せよ!』

との仰せを引き続き継承するため、

今後も少しずつではありますが、

何度も何度も繰り返す、日々の心の学びの礎として、

政木先生の御教えのすべてをこれからも紹介させて頂きますので、

皆様には引き続きのお付き合いの程、

何卒、宜しくお願い申し上げます。

 

深謝

m(__)m

 

 

 

 

 

完全オーダーメイド組み立て一式品

『復刻版 超強力磁力線発生器 試作品』

(特許第3510016号)

物理化学や自然科学の実験用、工業での金属磁化用専用試作機器として

政木和三先生がご発明なされた初期の頃の

元祖アナログ回路式機器を復活させることに成功しました!

ご用命の際は

下記のリンク先、もしくはE-Mailアドレスよりお問い合わせください。

 

令和3年3月に復活! 復刻版超強力磁力線発生器

 

画像の機器は平成10年の薬事法改定により製造販売が打ち切られた

元祖旧式アナログ回路が装着される超強力神経波磁力線発生器(Mリング)

 

 

 

元祖!本家本元!! 

神経波磁力線発生器と復刻版磁力線発生器との内部構造や動作の比較

 

 

提供:株式会社ケネスト

info@knestinc.jp

 

税込¥220,000,-

 

 

≪ご注意事項≫

 

この試作品は一般的な完成型の市販商品ではありません。

完全オーダーメイド方式のみにて

ご依頼者様個人と当方との合意・同意の上で

組み立てセット一式の試作品として特別に製作させていただきます。

そして

ご依頼者様個人によって組み立てられましたこの試作機器は

政木和三先生と北野電機が平成10年まで製作していた

当時のアナログ回路方式の復刻版として

ありのままに復元した内容構造の機器となっています。

しかしながら

現在の日本国憲法を遵守するにあたり

この機器の内容構造は

人体への使用が禁止される対象品となっています。

ゆえに

全てはご依頼者様各自の自己責任において法律をご遵守の上

ご使用・ご活用いただきますようお願い致します。

また

当方はご使用に関する一切の責任を負いませんので

上記の旨をご理解、ご確認いただいた上でお問い合わせくださいますよう

何卒、宜しくお願い申し上げます。

なお

機器への一年間の無償保証はもちろんのこと

その後の機器修理に関しましては従来の元祖旧式機器と同様に

引き続き対応させていただきます。

 

 

 

保江 邦夫 先生 【第2回 バロン保江のエリア55】 2021年

~ 悲運の発明品がついに復活! 復刻版 超強力磁力線発生器!! ~

 

 

 

≪復刻版 超強力磁力線発生器 試作機 の内蔵タイマーについて≫

 

旧式の神経波磁力線発生器の内部部品には最大作動時間60分設定

(通常30分に設定しています)

可能なタイマーが組み込まれていましたが(一部、後期型のMリングは除く)、

今回復活させました復刻版 磁力線発生器には

最大作動時間3時間まで設定可能なタイマーが装着されています。

(出荷時は作動時間を1時間設定にしていますが、

ユーザー様にてご自由に作動時間を最大3時間まで設定していただけます。)

 

画像は元祖 超強力神経波磁力線発生器のタイマー

(こちら赤い針が60分設定になっています)

 

画像は本家本元 超強力復刻版磁力線発生器のタイマー

(こちら赤い針が1時間設定になっています)

 

 

 

最後に

当方は販売等々に一切関わっていませんが

元祖旧式の超強力神経波磁力線発生器(Mリング)より改良が施され

厚生労働省より医療用機器として許認可を受けています

家庭用電気磁気治療器のバイオイーザーをお求めの方は

正規にお取り扱いの有限会社政木研究所様へ

そして

元祖旧式機器のアナログ回路からデジタル回路へと改良が施され

厚生労働省より医療用機器として許認可を受けていない

家庭用健康機器のセルパワーをお求めの方は

製造販売元の株式会社セルパワー様へ

それぞれ直接に

お問い合わせくださいませ。



 

 

 

KNESTinc.