笑う角にはバルゼッレッタ | イタリアよもやま話

笑う角にはバルゼッレッタ


イタリア人は喋り好きで有名だが、これには本当に敬服する。
単なる「お喋り」と言ってしまっては失礼なくらいだ。
彼らの喋りのテクニックはもう
民族的才能」としか言いようがない。
私たち日本人にとって、一見どんなにおとなしそうに見えるイタリア人でも、いざ喋らなければならない立場に立たされると、
怖気づいて恥じることなく、
「あ~、う~」と考え込むことなく、
黙り込んで話が滞ることなく、
話題が堂々巡りすることなく、
まるでアナウンサーのように喋り続けることができるのだ。


そんな遺伝子をもっている人達だから、暇さえあれば喋っている。
それでも日常のありふれた話題というのに飽きてくると、登場するのがバルゼッレッタ(=笑い話)だ。
西欧諸国では、この笑い話の文化ともいえるものがあって、それぞれのお国柄が出る。
(例えば、イタリアで 「なにが面白いのか」 「笑えない」 と馬鹿にされ、
逆な意味で笑われるのは、イギリスの笑い話だ。)


イタリアのは、バルゼッレッタは長くでも2分程度のもので、最後にワンフレーズで落ちがつく。
しもネタが圧倒的に多いが、その他にも、
一般的に低能とされているイタリアの警察官をコケにしたもの、
ピエリーノという名の小学校の落ちこぼれ生徒や、
妻を寝取られた夫、そして身体障害者までをも題材にして、
社会で弱者とされている者達を徹底的に笑い者にする
罪がないといえば無いのだが、日本だったらちょっと問題になるであろう。


バルゼッレッタの機会は、皆でピザを食べに行った夕食の、お腹も一杯になった頃とか、
グループで行動している時の暇を持て余す待ち時間とか(空港、駅、電車の中)、
グループでの仕事中のブレイク(気晴らし)にも。
必ずバルゼッレッタを語るのが上手い人がいて、そういった人が口火を切ると、
普段は無駄口の多いイタリア人がし~んとなって
皆一言も聞き漏らすまいと、一心に耳を傾ける。
そして一つ終ると他の人が「こんなの知ってるか」と、競って別のを話し始める。


語る方にもテクニックがいる。
まず、一度語ったバルゼッレッタは同じ相手にはもう二度と通用しないので、
沢山の新しいバルゼッレッタの供給が常に必要だ。それを覚えている才能も必要。
(私なんか、面白くて笑った後でも、すぐに忘れてしまう。)
ケータイにバルゼッレッタのショートメッセージが一日に何話も届く
バルゼッレッタサービスを受けている人も少なくない。


悲しいかな、私の語学力がまだ足りないとわからせてくれるのは、バルゼッレッタを聞く時である。
ここヴェネト州では、バルゼッレッタはすべてベタベタのヴェネト方言で語られる。
皆はシーンとしてくれているときは、語り手も慎重に語っているのでわかるのだが、
落ちになると、いつもすごい早口で「落ち」てしまい
その後に間髪入れずドッと大爆笑があって、
  最後の落ちが聞き取れなかった
    →誰に訊いてもまだお腹抱えて笑ってる
      →やっと教えてもらって一人遅れて笑っても
        →もう次のバルゼッレッタが始まってる、
というパターン。


まぁ、とにかくイタリア人ってうっちゃらけな民族です。