少し間が空きましたけど、村上春樹「ノルウェイの森」を再読始めました。

村上 春樹
ノルウェイの森 上


先日まで「海辺のカフカ」の説明本を読んでいながら、なぜ?そういうものなのです。

小説を読んでいると時間が止まります。横で寝ている彼女のいびきすら気になりません。

夜のひと時、小説の世界に浸れる幸せ・・・いや、彼女と話しているのも楽しいんですけどね。(フォローになってない・・・)


ノルウェイの森の出だしは主人公がドイツに向かう飛行機から始まります。
私も同じ経験をしました。ドイツには仕事で2回ほど行ったことがあります。目的地はデュッセルドルフで、成田から行くにはミュンヘンまたはフランクフルトでトランジットします。
残念ながらハンブルグには行けませんでしたけど、ドイツの国内便からみた風景は森が多いなぁと言うものでした。
ちょうど、ドイツ向けの仕事が一段落してドイツの担当者からお疲れ様メールが届いたところです。


何の本を読むか?それはその時の気分次第と言うことですね。
本を読むのは人それぞれ楽しみ方があると思います。私は今まで、あまりにも読み殴りすぎてたような気がします。
本を読みながら別なところに意識がいってしまい、内容を理解することができない、そんな傾向が分かりました。
作者が文章中に何を含ませてるのか、もう少し理解しながら読み進めると違った読書を楽しめ、万人に受け入れられる文章とは、そもそも文学とはという考えに近づくかもしれません。

もともと理系なために、命題に対する答えは一つでなければいけないという考えが根本にあります。
数学の世界で人それぞれに答えが違ったら成り立たないということです。

しかし、文学の世界は人によって捉え方があり、それぞれに「なるほど」と考えさせられます。自分と異なる意見を聞くとなぜ?と疑問にも思います。
最近では、原作付きの映画、テレビドラマを見ると、なぜそんな展開?その解釈はおかしいんじゃないの?という自分と異なる表現に違和感を感じてしまいます。
それぞれに制約があることなので、忠実に再現出来ないと言うのも分かるのですが、どうなんでしょう。


私は学生時代に自主制作で何本か作品を作ったことがあります。このときは脚本・監督を担当していました。
そのためか、絵を想像しながら話を作る癖があります。逆に言えば、絵が想像できない状況では話を作ることができません。なのでロケハンや自分の経験をとても大事にします。
自分の想像と全く異なる形にまとめられるのは耐え難いことのように思います。
仕事でも自分の真意を理解されず、結果オーライのようなことになると不本意でやりきれなくなります。
プライドが高いのか?それで人に任せることができない、結果なんでも自分でやってしまう・・・なるほど、出世できないわけだ。


話が大分それましたけど、自分にとっての読書のスタイルを見返すいい機会だなということで、今年の夏は本の読み方を考え直します。
と、言いながら本を読んでいると、横には邪魔する人が・・・彼女が寝付くまで読書している場合じゃないと言うことですね。


いつの間にか、彼女に対する意見になっている。このところ、文章の出だしと話の進め方、結末が全然別物になっているなぁ。
考え無しに思ったことを書き綴るとこういうことになるのか。

ブログといえども、もう少しまともな文章を書くように意識しないといけませんね。
どうも、私は勢いに任せて突き進んでしまう傾向にあるようです。自分の意識をコントロールできるようにならないといけないです。

特にタイトルを決めずに本文を書くとこの傾向が強いですね。
日記とブログの最大の違いは、このタイトルにあると思います。普通の日記にタイトルはつけないですからね。
本日の出来事で一番印象に残ったことをタイトルに設定し、それを軸に文章を書いていけばいいのかな?

いろいろ試行錯誤しながら進めているので御了承ください。



□彼彼キャッチ
彼女「ごめんなさい、『わざとじゃないのよ』」
彼氏「!?」
彼女「あれ、違った?何だ?」
彼氏「わざとじゃないなら許しません」


・・・彼女は『悪気はないの』と言いたかったのでしょう
しかし、大丈夫か?彼女。それでも小説家を目指すんだよね。こういうところから気をつけていかないとね。

日々の積み重ねが結果に繋がるんだよ。