全体の最適化
部分的、局部的又は近視眼的な利益より、
全体の最適化、利益を追求する場合、
大局的にみるといった
大局観が求められる。
これは古今東西、
例えば、
孫氏の兵法でも
語られることであり、
珍しいことではない。
ただ、
いつの時代
場所でも
実践できる人は、
限られているような気がする。
投資ビジネスシーンでは、
PPM組んで損切りしたり、
マーケティングの様々な手法も、
大局観なしには語れない。
しかし、
目の前の損得が絡むと
理屈で知っていても、
多くの人は、
近視眼的にならざる得ないようである。
麻雀にも大局観!?
囲碁、将棋、チェスといった
完全情報ゲームでは、
「大局観」
て言葉は良く使われているようだが、
不完全情報ゲームの
麻雀でも「大局観」はある。
半荘一回でみるなら、
南四局終了時の持ち点が
ゴールとなるが、
例えば、
配牌オリってのは、
その局はあがりに向かわないということなので、
全体収支的な対局的な見地での
判断といえなくもない。
差し込みなんてのは、
その最たるものかも知れない。
とある半荘で・・・
南1局、
3着目の親から先制リーチがきた。
南家のトップ目さんが
西家二着目の自分がカンチャンでチーをする。
自分タンヤオの安手イーシャンテンで
親リーを躱しに行く。
北家ラス目は店仕舞いの模様。
自分手出し無筋一牌をおして聴牌。
なのだが、
南家のトップ目さんが、
「うーん、うーん、」
と自分の手牌凝視
で毎回自摸牌に溜息が出ている。
『ここは、自分親リー躱しに行ってるのわかるでしょ![]()
、無理しなくていいから、
親現で張ってるんだから、千点なんだから
、
ね、ね、ね、
』
と心でお祈り![]()
だが、
トップ目の南家さんは、
自分の手牌の魔界に取り込まれたようで、
手牌と親の河以外は何も見れないようであった。
数巡後、
「ロン、12000」
と南家の捨て牌に親から声が出た。
半荘終了、
私2着で、
この12000ものにした親がトップ、
振込んだ南家の方は
ラスになってしまった。
とラスった方が悔しそうに
自分に、話しかけてくれた。
あったんだけど、
そんなことより、
「あんときさぁ、自分、親リーに、仕掛けて行って、
無筋手出し、したやん、
任せてくれてもよかったかな、
千点で、親の現張りだったんだよ。」
「えっ、そうやったの
」
との返事。
「うん、大局観っていうのかな、
全体見て打つのも面白いって思うよ
」
「そっかぁ、全然みえてなかったわぁ![]()
そうやねぇ、
思ったんですよ。
ああいう時って、
スジいうても、感覚があってるときもありますよね
」
「うん、うん・・・
」
と
とりあえず返事しておいて、
その場はそれで過ごした。
が、
これ、「大局観」じゃなくて、
「対局感」=感覚打ちって
意味で伝わったようで、
なかなか意図を伝えるってのは、
難しい
。
間隔打ちってのも、
場合によっては、
感覚打ちって意味に
捉えられることあるかもね。
麻雀って面白いね![]()
