寝ようと思って目つぶったが、あれこれ思い出したので、そのまま駄弁ることにした(笑)。
旧都のA師匠の店の常連でマシーン、今は東京で麻雀プロで活躍しているようだが、一時、彼が「恐れるな、恐れるな、」と口癖しながら打っていた。
そりゃぁ、まぁ、当時、すました顔をしていたが、あのような破天荒な打ち方(親リーに平気で大明槓とか)してれば、そうでも言わんと、いろいろと割に合わないだろうと思ってた。
この「恐れ」って感情だが、麻雀以外にも日常で遭遇する。
麻雀でいうなら、一打、一打、何が起こるかわからない黒ひげ大作戦で、代表的なのはやっぱ親リーとか、他家が明らかにデカい手を張っているのを察知したとき等かな。
シェイクスピアか何かの作品だったと思うが、「恐れってのは、実際は自分の心の中だけのことよ」ってセリフがあった。
吉川英治の宮本武蔵の話でも、自分の影法師に驚いて飛び退いたシーンがある。
つまり、「何が怖いんだ」ってことだ。
親リーそのものが怖い?
親リーに振り込むこと?
そんでもって、自分の点数が減ること?
それで、ラスること?
それとも お化け?
人は、自分が理解できいないことや見えないことを忌み嫌う傾向があるが、これも結局は自分自身のなかでの話である(これはどちらかといえば「不安)。
それが、自分自身に危害を加えるとか、不利益をもたらすものであるとしても、そもそも麻雀で命をかけてやってるわけでもないし、経済的限界を超えてやっているわけでもない(でしょ?)、ので如何程なのですか?ってことを判断すればよい。
「恐れ」ってのは、本能的な原始感情で身の安全を欲する反応でもある。
つまり、「安全欲求」は、その先の自己承認や自己実現より強い欲求ではあるが、自分の内にあるなんたるかを見つめ、思想転換をすることで、その先に進んでいける、かもしれない(笑)。
だいたい、何かを得ようとすれば、何かを失うもんよ
逆に言えば、何かを失えば、何かを得てるかもよ?
それよりも、「恐れ」や「怒り」といった原始的感情に取りつかれると、ちゃんとした判断ができなくなるリスクの方がやばい。
怒りにまかせて判断するとだいたい自分でもろくでもない結果になるね
なので、時間をおきます、一日ぐらい(笑)。
恐れも同じである。
つまり、親リーがはいったからってビビッてたらろくな判断ができないってことになる。
『おう、きやがったか、あがれんリーチうってだいじょうぶなのかな?、だってぼくちゃんが、三本五本、和了するんだもん』
ぐらい思っていたほうが、良い判断できるんじゃないかなってことになる。
え、それで12000点、18000点降ったらどうするのって?
その場合は、相手の手牌、捨牌をしっかり記憶して勉強する。
え、裏3やったらどうするのって?
そだね、そんときは、「ついてないなぁー」てことで、次跳満和了ましょう
え、跳満どころか、また振り込んだらどうしようって?
ラス半コールで・・・・いきましょか・・・・
つかんときは、つきませんよ、だんな。
「恐れ」と「身の安全」、こいつのトリガーを外すとね、人間社会えらいこっちゃになりますからね。
ほどほどにせんとね。
現在、マシーンの打ち方は動画サイトでみるかぎり、「恐れる」トリガーを外すようなことは、ないようである(大明槓とかはしない)。
安全運転を心掛けているようにみ・え・る・ね