“カフェの間”通信便り

 

人それぞれ思考が異なるのは必然なのですね

【人生論】

昨日、地名研究会例会に出席し、私も研究成果を発表しました。私が地名の由来を調べる手法として、①地名の発生時代や歴史的事実、時代背景を把握すること、②地理的に地形や地質に関わること、③地名の呼び方や発音、話し言葉、地域語、方言から探ること、そして最後に④人々の日常形態、民間伝承、伝説説話から探ることを軸にしています。一般的によく言われていることですが、伝説説話はあてにしないほうがよいとよく言われことがあります。私もそれだけが正解ではないと思っていましたので、①から④を総合的立体的、かつ複合的に組み立てることを考慮した上で、伝説説話の必要性を訴えました。そして伝説説話にはロマンを感じる‥と話をしましたが‥案の定、反対意見が出ました。「ロマンは持っててもよいが、伝説は後付けであるので‥他のことも考慮して‥」と批判的でした。「あの‥すみません‥それ今私が言ったことなのですが‥」と思いました。さすがに喧嘩になるので、あえて口にせず反論しませんでしたが、なにかモヤモヤ感が残ってしまいました。要するに「人それぞれ顔が違うように、発する言葉も考えることも違うもの」と同様に、思考が異なっていることは必然なことなんだと、なんとなくですが、少しわかったようになりました。

それにしても、このような人、こんな堅苦しい地名研究をして、何が楽しいのかなぁ‥と哀れに思いました。でもこのような人は自分自身楽しいのでしょうけど‥。

私のやっていることも、もしかしたら、同じように思われているのでしょうね。

結局、自己責任のもと、何を言っても言われても「自分は自分、他人は他人」なのでしょうね。逆にこの件で私自身の思考について信念を持っていていいのだなぁ‥と。

最近、このようなことが立て続けにあり、自分に向き合えているような気がします。

このようなことがあって、ふと、思い出しました。私が所蔵している精神科医の和田秀樹先生の著書「自分は自分、人は人」の書物を改めて、読み返してみました。