先週義姉が子宮がんで亡くなりました。
まだ40代で、亡くなるにはあまりにも早い年齢です。
兄は亡くなった日まで何も教えてくれませんでした。
たまに実家に帰った時に兄の子供が実家にいて、母や父が面倒をみていたことは知っていました。
母から理由を聞いたりもしてましたが、特に教えてくれませんでした。
まだ小さい子供と兄を残して逝ってしまった義姉はずっと実家を離れて交流の少なかった自分にとって、どういう人だったのか告別式までわかりませんでした。
一年半前から闘病生活をしていたこと、いつもニコニコしていたこと、誰にも伝えるなと義姉が言っていたことを告別式の兄の挨拶のときにわかりました。
抗がん剤の影響で髪の毛が抜けてしまうときに、ウィッグなど付けず、全部兄に剃ってほしいとお願いされたと話していました。
義姉は、スッキリした。これが本来の私。といって笑顔で話していたそうでした。
それを見た5歳の娘は声を出さず泣いていたと言っていました。
こんな小さな身体で母親の死を受け入れる準備をしなければいけない子供の気持ちはどんな気持ちなんだろうとずっと考えていました。
そして、その2日後に祖父が心筋梗塞で亡くなりました。96歳でした。
大往生でした。
祖父は先月に風呂場で意識を失い、病院へ搬送されました。
子供の頃は父よりも祖父の方が僕にとっては怖い存在で、まがったことが大嫌い。
殴られたこともたくさんあります。
特攻隊の訓練士だったので戦争、戦後を経験しています。
昔ながらの頑固ジジイでした。
そんな祖父は自分が間違えていたとしても、認めず貫くような堅物で、だからこそ90歳を超えても介護サービスも利用せず足腰が衰えても自分の手足を使い生活していました。もちろん弱音を吐いたところなんて見たことがありません。
そんな祖父が入院中に弱音を吐いたと母から聞きました。
両親は共働きなので基本的に日中は家にいません。祖父に何があってもすぐに対応ができません。
そういう理由から命の危険回避のため、入院中に介護施設に入居の話を母からしたそうです。
そのときに、もう家には帰れないのか。と涙を流したそうです。
そして退院が迫った3日前の夜中に急変し明け方に亡くなりました。
だから先週は通夜と告別式を2回経験しました。
家に帰って腎不全のネコがヨロヨロ近寄ってきてくれました。
夜中に太い声で鳴き、風呂場にしきりに行きたがります。
腎不全になると低体温になりがちです。そうなると寒い場所に行きたがります。
そしてそれは死期が近いことを意味します。
変わらず補液をし、食べれるだけのご飯を口元にもっていって食べてもらいます。
妻が癌で亡くなるときもそうでしたが、死を受け入れる準備というのは簡単じゃないし、なかなか慣れないと思いました。