昨日、妻の墓参りに行きました。


もう墓を前にして泣くことはないですし、声を出して話しかけることもありません。


最近は墓参りに行くたびに、なんで墓石に話しかけているのか、そこに本人がいるわけじゃないのに。

とか思っいながら合掌していました。


亡くなってしばらくは、きっと自分の姿をどこかで見守ってくれてるとか考えていた反面、亡くなったら何もない、ただ残された者の辛さがトラウマのようにあるだけ、と思っていました。


だからよく有名人の告別式の挨拶に、天国で見守ってて下さいという話をされるのを見かけるけど、天国ってどこ?この悲しいという感情が自分とその周りについて回るだけでそんなふうに言って綺麗な言葉で片付けないでほしい。とかなりひねくれたことを思っていました。


その気持ちは当時も今も変わりません。


宗教や思想が人を救ってくれるなら戦争なんて起きないし、こんなに捨て犬捨て猫なんていません。


全ては人間の行動が決めること。


墓参りの帰りに、久しぶりに妻の実家にお邪魔させていただきました。


お義父さんと笑い話をしていたときに、今だから見せるけど…と言いながらノートを見せてもらいました。


それは妻が亡くなる少し前に書いたであろうエンディングノートでした。


いろいろ書いてある中に、死ぬまでにやりたいこと、と書いてあり3番まで振り分けてありました。


3番目がこのまま変わらない日常の中で死にたいと書いてありました。


2番目が家族で旅行に行きたいでした。


1番やりたかったことは僕と居酒屋で一日中飲むこと、でした。


亡くなって10年近く経つけど3番以外叶えられず亡くなってしまったと考えると以前の悲しみがフラッシュバックされるようでした。



あらためて素朴な人で多くを望まない人だったんだなと思いました。


墓なんてただの石でそこに妻はいないのに、次に墓参りに行く時は大量の缶チューハイとビールを持って墓の前で飲もうと思いました。