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けんちゃん先生って?!

けんちゃん先生と知り合ったのは1987年の9月。
きっかけは医師と患者…。
空手の練習中に捻挫した右足の痛みが
1か月経っても取れなかった為に行った病院で診てくれたのが
けんちゃん先生。
けんちゃん先生が大学を卒業したのが1986年の3月だから
卒業して1年半しか経ってない研修医のけんちゃん先生には
手に負えないと判断され、
1度っきりの診察で出身大学の大学病院へ紹介状を書かれてしまい
すぐに転院。
大学病院には2年弱…通院していたんだけど、
その間に診断が付かず…主治医が異動になった時に某国立病院へ転院。
やっとそこで診断が付き右足を手術。
右足が良くならない間、左足で庇っていた為か?
左足も同じ様な症状が出ていたので、
その後左足も手術し4年掛かって完治させた。

…とここまで読んでいたら、
けんちゃん先生には1度診てもらっただけなのに
どうしてその後も付き合いがあるの?と思うよ…ネッ。

実は大学病院で診てもらっていた2年弱の間、
レントゲンでは痛みの原因の予測は付いていたんだけど、
腫れてもいないし、血液検査で炎症反応が出ないということで…
痛いのは精神的に不安定だからじゃないのか?と言われたり、
治療方法がないとまで言われたりしていて、
もう空手をする事は出来ないのかな?と思ったら、
お先真っ暗になってしまって、
どうしたら?と相談相手に選んだのがけんちゃん先生。
ってか、けんちゃん先生しか相談出来る人がいなかっただけなんだけど…。
で、紹介した責任からか?優し過ぎる性格からか?
けんちゃん先生はずっと支えてくれていた…[emoji:v-347]
具体的に言うと…
大学病院に通院していた当時、
けんちゃん先生は某市立病院で外来を持っていたんだけど
「辛かったらいつでもおいで」「痛かったら診るよ」って言ってくれてて、
痛み止めの薬を出してくれたり、
大学病院での診察が終わってすぐに
「また治療方法がないって言われたよぉ」って泣きながら電話したら、
「今から大学に戻るからちょっと待ってて」って
某市立病院から大学病院まで車を飛ばして来てくれたりもしたし…
そうそう…大学病院の主治医は泣きながら電話している私の姿を見ては
「やっぱり精神的に不安定だ!」って言ってたんだけど
「あんたが治療方法がないって言うから…」って言いたかったけど
言えなかったんだよね…。
けんちゃん先生は、実験が夜遅くまで終わらない日でも
「話しがある」と言って実験が終わるのを待っていたら、
何時になっても嫌な顔一つせず付き合ってもくれたし、
当直の夜に病院でor電話で話しを聞いてくれたりもした…。
あの時、けんちゃん先生がいなかったら…
本当に精神的に参ってしまっていたかもしれない…。
けんちゃん先生には本当に感謝しているんだけど
あの当時は、けんちゃん先生しか頼れる人がいなかったし、
私には同じ歳の彼氏がいたんだけど、
8つも年上のけんちゃん先生はやっぱり凄く「大人」だったので、
けんちゃん先生に寄り掛かって生きてた…って感じだった…。
けんちゃん先生は優しすぎる程優しい人だったから、
いつも間にか好きになってしまっていて…[emoji:v-347]
1988年の12月…
某市立病院の当直の夜、差し入れのクッキーと一緒に手紙を持って行った。
出会いが医師と患者だったので、良い返事をもらえるとは思ってなかったし、
それでもいいから何もしないで終わってしまうより、
自分の気持ちを伝えたかった…。
もちろん…良い返事は返って来なかったけど、
けんちゃん先生が言ってくれた言葉は今でも良く覚えてる…。
「手紙読んだよぉ。ずっと想ってくれてたんだね。ありがとう。
凄い嬉しいんやけど、やっぱり応える事は出来なくて…ごめんな。
でもずっと大事にするし、
これからも、辛い時は連絡くれたら相談に乗るから。」って。
傷付けない様に凄く優しく言ってくれたんだよね[emoji:v-347]
って、最初っからホントにこうなるって判ってたから、
良い返事をもらおうなんて全く望んでなかったから、
気持ちを伝えられて楽になった事と、
けんちゃん先生の優しさが嬉しかったかなぁ。

国立病院に転院したのが1989年の7月。
それまでの間も、それからもけんちゃん先生は辛い時に本当に助けてくれて…。
診断がついたのが転院して半年後だったんだけど
その半年の間にけんちゃん先生は3か月も出張で熊本に行ってしまって…。
ちょうど9月の下旬から。「クリスマスには戻ってくるから…」って言って…。
3か月も会えないんだなぁ…と思ったら、
寂しくて2週間ぐらいずっと泣いてたっけ…。
涙なくなるんじゃないかなぁ…ってぐらいずっとずっと…。
10月には熊本に電話してたんだけどね。
けんちゃん先生が熊本から戻って来て暫くして診断が付いて、
手術する事も決まったんだけど、
両足の手術が終わって完治するまでは、
術後、腫れが引かずなかなかリハビリが始められなかったり、
痛みの為、リハビリが上手く進まなかったり、と簡単ではなかったんだけど、
辛い時はいつもけんちゃん先生が助けてくれてた…。

1990年のバレンタインには初めてチョコレートを渡したっけ…。
歯ブラシ&歯磨き粉と一緒に。
もちろんけんちゃん先生は「ありがとう」って笑顔で受け取ってくれたよぉ~[emoji:v-347]
で…両足が完治したのが1993年の11月。
けんちゃん先生はその3か月前にアメリカへ…。
取り敢えず1年。
でも多分3年ぐらいに延びるだろうって言ってた通り、
戻って来たのは1996年の5月だったんだけど、
この時も涙なくなるんじゃないか?ってぐらい泣いてたかなぁ。
「ずっと気にしてるから」
「辛かったら連絡しておいで」って言ってくれてたから、
1か月もしないうちに「足痛いよぉ~」って泣いて電話したっけ。
けんちゃん先生はアメリカに行ってからもずっと変わらず優しかったけど、
年末には足もすっかり良くなってくれてたし、
時差の関係で、電話する回数が減ってしまって、
その後は、腱鞘炎に悩まされていたんだけど、
使い過ぎだって事がはっきりしていたので、
痛みが強い時は手を休ませる様にして、けんちゃん先生に連絡する事はなくて、
帰って来たのは、私が結婚した次の月。風の噂で聞いただけだった…。
それ以降もどうしてるんだろうなぁ…って
たま~に思うことはあっても忙しかった事も手伝ってずっとそれだけだった。

けんちゃん先生と久し振りに喋ったのは2001年の6月。
踵が痛くなって、
ご近所の鍼灸師さんに
自宅近くで整形外科で評判の良い病院はないか?って聞いて
教えたもらった病院のHPを見たら、
スポーツ整形の副部長にけんちゃん先生の名前が…。
その病院は自宅のある市のお隣の市にあって、
こんなに近くにいたんだぁ~ってなんだか凄く嬉しかったのを覚えてる…。
その時は電話で喋っただけだったんだけど、
それからは、たまに電話をしたり手紙を出したりしてた…かな。
で、けんちゃん先生の患者に戻ったのは2004年の8月から。
その半年ぐらい前からまた腱鞘炎に悩まされていたんだけど、
けんちゃん先生は大学病院に戻ってしまっていて、
他の病院で外来は持っていなかったから
けんちゃん先生に同期の先生で手を専門にしている先生がいるからって事で、
近くの病院を教えてもらって3~4か月程通院していたんだけど、
胃を悪くして痛み止めの薬が飲めなくなって、困り果ててしまって、
けんちゃん先生にSOSを…。
けんちゃん先生の専門は膝だし、
大学病院は"特定機能病院"と言って、
高度医療が必要な患者を受け入れる病院なので、 紹介状があってもなくても、
初診の時点で大学病院での治療の必要性を問われ、
本来腱鞘炎は、大学病院で治療する必要のないものとされるんだけど、
けんちゃん先生なら行けば診てくれる筈だから…って、
けんちゃん先生の患者になる事を勝手に選んだ。
それから…3年。もともと靭帯が緩い事で痛みが出てしまう膝や、
原因不明の肘の痛みに感染症に…と
なんやかんかとお世話になり続けてる…。
3年前に何年振りだっけ?ぐらいに会った感想は、
やっぱり格好良いし優しいなって…[emoji:v-347]

20年前に出会って、いつの間にか「けんちゃん先生」って呼んでいて、
今でも「けんちゃん先生」って呼んでる。
もちろん…大学病院の診察室でも…。
ってか今更「○●(←苗字)先生」って呼べないしぃ~。
足の手術をしてくれた国立病院の先生は、当時けんちゃん先生の事を
「大学に残って上にあがる人間だ」ってそう言ってたんだけど、
その通り、昨年助手から講師になった…。
忙しくて大学に電話しても捕まらないんだけど、
大学のとあるページからけんちゃん先生のメルアドをGET。
メールなら、時間のある時に読んでもらえるからって、
言いたい事全部書けちゃう。直接言えない事も…。
「口髭似合ってたよぉ。惚れ直した。」とかって…ね。
けんちゃん先生は、どこが痛いか?どれだけ痛いか?見えてる?って
そう思えるぐらい良く解ってくれて、
今では私が何をどんな風に言えばどれぐらい痛いのか?も解ってくれて、
ずっと変わらず今でも、辛い思いも半分背負ってくれるし、
けんちゃんの笑顔に助けてもらってる。
けんちゃん先生は私にとって『一番』の整形外科医…。
これからもずっとずっとけんちゃん先生を好きでいるんだろうなぁって…。

けんちゃん…大~好き
[emoji:v-347]

Y先生って?!

Y先生は、私の自宅から6~7kmのところで開業している整形外科医。
出身大学はけんちゃん先生とは違うんだけど、
卒業後にけんちゃん先生の出身大学の医局に入局しており、
けんちゃん先生の4年先輩になる…。

けんちゃん先生はRという病院に
2001年から2003年まで勤務していたんだけど、
そのR病院で一緒に在籍していて、
休みの日には一緒にテニスをしたりする程の仲らしい…。

そんなY先生がR病院を辞めて開業したのは2005年の春。
2004年の8月にけんちゃん先生に診てもらう事になってからは、
自宅近くで良い先生を…って探す事はなくなっていた。

2005年の6月にY先生が開業した事を知らされていたんだけど、
すぐには行く気にはなれなくて、
けんちゃん先生さえ居てくれれば…と思っていた。
んが、けんちゃん先生が学会や出張で居ない時は診てもらえないし、
水曜日と木曜日以外は診てもらえないし、と不便な事もあった事と、
右手首だけだった腱鞘炎が、左手首も両肘も痛くなってしまっていたので、
手を専門にしてる先生に診てもらいたいという思いもあり、
けんちゃん先生が出張でいない2005年9月にY先生のところに行く事に。

「治療方法がない」とか「精神的に不安定だから痛いんだ」とか言われて
辛い思いをしてきた事があるので、
もうそんな思いはしたくないって思っていた私に
「大丈夫だから」とけんちゃん先生が言ってくれた通り、
人当たりが良くって優しい先生。
痛みが目に見えないし、
けんちゃん先生みたいに疾患だけでなく、人間性まで解ってくれてる訳じゃないから、
未だに伝わらなくて辛い思いをする事はあるんだけど、
そんな時はけんちゃん先生が助けてくれるんで、お世話になっている先生です。

1人は居て欲しい…

主治医はいつもなら木曜日は午後から大学で外来なんだけど、
けんちゃんが出張で居ない為、
木曜日の午後&金曜日の午前、
他の病院へ手術に行かなければならないと…[emoji:e-263]

木曜日の午後からはいつも調子が悪くなり、
主治医が大学から戻って来てくれるのを待っている状態なのに、
今週は戻って来ないし、けんちゃんもこっちには居ない…最悪な状況[emoji:v-356]

そんな不安を抱えている事を察してか、
水曜日に主治医は、来週のけんちゃんの来る日を教えてくれた[emoji:e-266]
聞いてもいないのに…[emoji:e-343]

けんちゃんが来るって事を支えにそれまで頑張れって
言いたかったんだと思う…。

でも、残念ながら、木曜日の午後からはやっぱり体調不良に…[emoji:e-263]
んが、受持ちの看護婦さんも休みで、誰にも言えず、
金曜日に主治医が来てくれるのを只管待っていた…。

戻って来ても午後からすぐ手術に入ると言っていた主治医が来てくれたのは、
16時30分頃…。
ずっとずっと待っていたから、凄く嬉しくて[emoji:e-266]
主治医には体調が悪い事…ちゃんと言えました[emoji:e-420]

主治医が居なかった事で、不安だったし、体調も悪くなったけど、
でも、また一段と頼りに出来る様になったかなぁ。

けんちゃんに
「けんちゃんがこっちにいない時は□○先生(主治医の事)を
どこにも行かせないで…」とメールをしてました[emoji:v-346]
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