こんばんは。
皆様お久しぶりです。
このブログを最後に更新したのが2012年7月22日。
2012年3月30日からずっと更新してきた浪人ブログでしたが、私自身が受験勉強に余裕がなくなってしまい、更新を断念するに至りました。
毎日1000人以上の方に訪問していただいていたにも関わらず、途中で何の報告もなく断念したことは大変お恥ずかしいことです。
そのためブログを新しく作り直し、このブログを閉鎖しようかと色々考えましたが、当時19歳だった私の浪人期ももしかしたら誰かの役に立つかもしれないと思い、残すことにしました。
毎日1000人以上の方に訪問していただいていたにも関わらず、途中で何の報告もなく断念したことは大変お恥ずかしいことです。
そのためブログを新しく作り直し、このブログを閉鎖しようかと色々考えましたが、当時19歳だった私の浪人期ももしかしたら誰かの役に立つかもしれないと思い、残すことにしました。
当時訪問してくれていた人たちはもう見ることはないでしょうけど、また新たに更新していくことにします。
そんなブログ主は2年間の死闘ともいえる受験を終え無事に立教大学の法学部に進学いたしました。
偏差値39だった私が目標だった東京六大学に進学できたことは正直今でも夢のような心地がします。
しかし慶應の壁は2年間の取り繕った知識ではごまかすことは出来ませんでした。悔しくなかったと言えば嘘になりますが全力で打ち込んだ分、負けてもある意味清々しかったですね。
これほどまでに人生で何かに全力で立ち向かい、自分と向き合ったことは無かったので本当に掛け替えのない経験となりました。
支えてくださった両親をはじめ、塾の講師や友達には感謝の言葉しかありません。
当初偏差値という言葉の意味すら知らなかった18歳の私が就職ではなく大学受験を心に決め、高3の春初めて受けた英語のセンタープレで16/200という奇跡の点数を叩き出したことが懐かしいです。
一般的に高3の時にこのような点数を取って早慶MARCHを目指した自分は多分阿呆なのでしょう。
景気良く目指すとは言ったものの勉強すればするほど自分と目標との差を嫌というほど思い知らされ、何度も挫折しそうになりましたし、周りからも無理と言われ続け、投げ出したくなることも多々ありました。
しかし三重県の田舎で19年間過ごした私の人生は、2年間の努力で確かに変わりました。それはまだ良い変化なのかは定かではありませんが、今私は胸を張って生きています。
そんな受験でした。
報告が3年後と遅くなってしまい申し訳ございません。
3年と長く時間が空きましたが、また再更新していきます。