さて、演奏行為にはつきもののこのテーマ。


練習ではできていたのに、本番は緊張でズタボロ、そんな経験ありませんか?


私は山ほどあります😅



高校二年生の夏の吹奏楽コンクール、自由曲はストラヴィンスキーの火の鳥。終曲の冒頭にあるホルンのどソロを私は担当しました。

当時は音大を目指していたのもあり、周りの仲間たちよりは上手く吹けるという自信がありました(自分で言うのもアレですが、)。

練習ではいつも完璧👍指揮者の先生にも特に何か注文されることもなく本番の日を迎えます。

学校での音出しや、会場入りしてチューニング室までは何てことなかったのに、いざステージに立つと急に不安が襲ってきました。


まだ課題曲の出だしなのに、頭のなかは例のソロのことでいっぱい。


失敗したらどうしよう、いつも完璧だったのに本番だけうまくいかなかったら周りからどう見られるだろう?


結果は、、


ズタボロ(ToT)


唇はパサパサ、体はガチガチ、こんなに震えたことないというぐらい震えて、マウスピースがうまく唇に固定できないぐらいでした。

後ろで演奏していたトランペットの同級生に「譜面台めっちゃ揺れてたよ笑」と言われる始末。


ホルンを吹いてあんなに落ち込んだ日はあれが初めてでした。


この経験はトラウマになり、その後のホルン人生で幾度となくネガティブなイメージとなって姿を現し、望まぬ残念な結果をもたらしてきました。






そんな私ですが、おかげさまでホルン人生30年を迎えます📯


これまでの自分の演奏、そして生徒へのレッスンの経験から、この「緊張」には大きく分けて2種類あることが分かってきました。それは、、、


○得体の知れてる緊張

○得体の知れない緊張


です。



まず前編では、得体の知れてる緊張についてお話ししますが、そもそもこの緊張という生理現象を理解する必要があります。


緊張という現象は簡単に言うと、身の危険から自分を守るための防衛反応です。

野生動物の場合、一瞬の判断ミスが命の危険に直結するため、少しでも不穏な気配があると、脳からの指令によって、動悸を速め体にしっかり血を巡らせ、今すぐにでも全速力で逃げ出せる態勢をとることで、死の可能性を回避しているのです。


人間の場合、そこまで物理的にサバイバルな状況はあまりありませんが、命と等しい(と思えるぐらいの)社会的な存在や評価が傷つくことへの不安から、この緊張が起こることが多いのです。


人前で演奏することも、聴衆が自分をどう評価するか?や、酷い演奏になってしまったら「下手な人」というレッテルを貼られるんじゃないだろうか?といった社会的なダメージを事前に回避しようとするために、緊張という生理現象がある意味必然的に引き起こされるのです。



さて本題の得体の知れてる緊張ですが、これは上記の社会的ダメージへのアプローチから考察していこうと思います。


他人からの評価というものは決して生きるか死ぬかのように絶対的なものではありません。あくまでもその人の主観であり、人が違えば真逆の評価をする場合もあるでしょう。三者三様、十人十色、千差万別と言うように、人間が判断することで世界中の全員が一致することはまずあり得ません。


スポーツの世界では得点や記録といった形で白黒がハッキリ決まるから絶対的じゃないか!という意見もあると思います。もちろんその通りですが、例えば「あの人は負けたけれど、彼のプレイスタイルは好きだわ」とか「結果的に勝敗がついたけど、どちらが勝っても不思議じゃなかった」など、結果以上に内容やその人の生き様に共感したり、感動したりするものです。


つまり、結果は結果であって、それが1人の人間の100%を決めつけるものではないのです。


もちろん負けたことや、ダメだったことを低く評価してくる人もいるでしょう。しかし、そうでない人も必ずいるし、あるいは他人を下げることで自分の立場を優位に立たせようとする人もいるのです。


いずれにせよ、望まぬ結果になったとしてもそれは高(たか)が知れている、つまり得体が知れてるのです。


このことをまずしっかり飲み込むことが重要です。


それと、他人からの低評価について実は自分の想像の中にあるものを、あたかも真実かのように錯覚してしまうことがあります。つまり、直接言われた訳ではないのに、みんなこう思ってるだろうな〜、、みたいな想像、これは要注意です。

これでは自分で自分にネガティブマインドを植え付けて洗脳しているも同然です。あくまでも他人の評価は他人が思うものであって、自分で決めるべきものではありません。それこそムダなストレスです。


話を戻して、ではどうやってこの得体の知れてる緊張を克服するか?


答えは簡単です。


得体が知れてるので、意識を他の対象へシフトすることです。


具体的には、音楽的な意思や演奏行為そのものへ集中するということです。

得体が知れてる以上、わざわざその事へ思考を向けなくても身の安全は保証されているのです。


人間の脳は複数の事柄を同時に考えるいわゆるマルチタスクは不得意であるとされています。

それを逆手に取って、不安要素に代わる別の考えで塗り潰すことができれば、結果的に緊張を追い出すことができるのです。


よくある間違いは緊張したくないがために、緊張そのものや結果に対する不安から意識を逸(そ)らすことができず、さらに緊張が増幅し、パフォーマンスを低下させてしまうということです。集中力の矛先が間違っているのです。


外からの評価といったコントロールできないものにムダな戦いを挑むよりも、自分の内から湧き出るやりたいと思うイメージ、意思に気持ちを向けることで、緊張は和らいでいくはずです。

何もそれは高度に音楽的である必要はありません。単純にこんないい音を出したいとか、聴いてる人を楽しませたいとかでも充分です。その意思がある事が重要です。


ステージに上がって一曲目はものすごく緊張していたけれど、コンサートの終盤は気が付いたらことのほかリラックスして演奏していた、みたいな経験はありませんか?


人間の心は強い不安に長時間堪えることができません。不安が心や体を蝕むことを本能的に知っているので、通常はそれを回避するため、次第に別の事へ考えが移ってゆくのです。

得体の知れた仮想的な不安に振り回されず、自らの意思を楽器を通して聴き手に伝えることに集中できれば、この得体の知れてる緊張は薄れていくことでしょう。



前編の最後に、心臓の動悸つまり「ドキドキ」についてひとつ。


緊張で速まった心臓の鼓動は、短吸気→長呼気で少し落ち着かせることができます。

3秒ほどで息を素早くたくさん吸ってその後7秒ぐらいかけてゆ〜っくり吐きます。

これを3回ぐらい繰り返すと、脈が少しゆっくりになってくると思います。


お試しあれ!



さて後編は得体の知れない緊張についてです。

乞うご期待。