前回、ついに初診日!④~初診日の検査内容~の続きです。
こうしてひとまず2012年9月21日(金)の大学病院での初診日は終わった。
次の月曜日から入院できることになって一安心だった。
この待っている土日も長かった。私はとにかく腰が痛くて動けそうにもなかったので、家で借りてきたDVDや野球をテレビで観て時間を潰した。
何も考えたくない時、不安を少し忘れたい時、スポーツ中継を観るのはちょうど良かった。
ミッションインポッシブルや阪神タイガースの試合の中継を観ていた。
目の前のストーリーや試合の展開に一喜一憂していると少しは不安が和らぐ。
でも相変わらず、腰が痛いので例の車の座席を取り外して作ったシートの上にずっと座っていた。
車のシートはさすがに体重を分散する作りになっていて腰痛を感じにくくしてくれる。
その間に両親は、入院のための準備の買い物に出かけてくれていた。
こうして特に何もすることなく、やはりどんどんと痛みが増してきて私の土日は終わった。
こうした待ち時間は本当に辛かった。今後の遠隔医療の発展などによって効率化され待ち時間が短くなることを期待したい。
そして、ついに土日が終わり、24日の朝、私は再び両親と共に大学病院へ向かった。
まずは総合受付へ行って必要な手続きを済ませた。結構な量の書類があった。
病院についてや、入院についてなどの説明を受け、必要な書類にサインをしていった。
中には、要は私の治療の情報を研究のために活用することを承諾する旨の用紙があって、自分の経験が何かの役に立つなら是非提供したいと思いサインをした。
書類関係は家族にも結構手伝ってもらった。
そうして手続きを終えたあと、入院することとなる病棟へ向かった。
階ごとに科が分かれていて、その時私が入院することになったのは肝胆膵外科だった。
病棟に行ってから、簡単な身体測定と病棟でのものの使い方について医療事務の方から説明を受けた。
主に担当してくれる看護師の方とも会った。
そして、自分のベッドへ案内され、家から持ってきたタオルや服などの荷物を所定のベッドの隣にある棚に収納した。
入院初日は結構こうした事務や作業に手がかかる。
こうした作業を手早く行い、その後肝胆膵外科で主治医となる先生とここで初めて会った。
初診は教授が診察を行ってくれたがここからは、教授の下に着く外科の先生が治療の主な担当となる。
GT先生という先生だった。40台前半か半ばくらいの年齢の先生で、眼鏡をかけていてとても落ち着いた雰囲気の先生だった。話し口調もものすごく丁寧だった。
そして主治医とは別にもう一人、主治医の下に着くインターンの先生ともここで初めて会った。患者の治療について主に責任を負うのは主治医だが、検査などの予約をとったり日々の措置を行うのはインターンの先生だ。
胃カメラや腸カメラなどの検査も行っていく予定であることであった。
この日、入院療養計画書というものが私に手渡された。
そこで初めて私に与えられた病名は「後腹膜腫瘍」であった。
そこでは入院期間は約2週間とされていた。
こうして慌ただしく初日が終わった。
入院できたことによって、私は鎮痛剤として大衆薬のロキソニンではなく、医療用麻薬のオキシコンチンを処方してもらえることになった。とにかく腰痛が酷かったのでこれはかなり助かった。
世間ではよく誤解されているが鎮痛用の医療麻薬はれっきとした医薬品である。医師の指示通り服用していれば何の問題もない。私もかなり多量服用したが後遺症などは全くない。
がんなどの疼痛(とうつう)が酷い人は医師が勧めるのであれば使った方がいい。
つづく
次回、検査入院!②~緩和ケアとの出会い~へ
こうしてひとまず2012年9月21日(金)の大学病院での初診日は終わった。
次の月曜日から入院できることになって一安心だった。
この待っている土日も長かった。私はとにかく腰が痛くて動けそうにもなかったので、家で借りてきたDVDや野球をテレビで観て時間を潰した。
何も考えたくない時、不安を少し忘れたい時、スポーツ中継を観るのはちょうど良かった。
ミッションインポッシブルや阪神タイガースの試合の中継を観ていた。
目の前のストーリーや試合の展開に一喜一憂していると少しは不安が和らぐ。
でも相変わらず、腰が痛いので例の車の座席を取り外して作ったシートの上にずっと座っていた。
車のシートはさすがに体重を分散する作りになっていて腰痛を感じにくくしてくれる。
その間に両親は、入院のための準備の買い物に出かけてくれていた。
こうして特に何もすることなく、やはりどんどんと痛みが増してきて私の土日は終わった。
こうした待ち時間は本当に辛かった。今後の遠隔医療の発展などによって効率化され待ち時間が短くなることを期待したい。
そして、ついに土日が終わり、24日の朝、私は再び両親と共に大学病院へ向かった。
まずは総合受付へ行って必要な手続きを済ませた。結構な量の書類があった。
病院についてや、入院についてなどの説明を受け、必要な書類にサインをしていった。
中には、要は私の治療の情報を研究のために活用することを承諾する旨の用紙があって、自分の経験が何かの役に立つなら是非提供したいと思いサインをした。
書類関係は家族にも結構手伝ってもらった。
そうして手続きを終えたあと、入院することとなる病棟へ向かった。
階ごとに科が分かれていて、その時私が入院することになったのは肝胆膵外科だった。
病棟に行ってから、簡単な身体測定と病棟でのものの使い方について医療事務の方から説明を受けた。
主に担当してくれる看護師の方とも会った。
そして、自分のベッドへ案内され、家から持ってきたタオルや服などの荷物を所定のベッドの隣にある棚に収納した。
入院初日は結構こうした事務や作業に手がかかる。
こうした作業を手早く行い、その後肝胆膵外科で主治医となる先生とここで初めて会った。
初診は教授が診察を行ってくれたがここからは、教授の下に着く外科の先生が治療の主な担当となる。
GT先生という先生だった。40台前半か半ばくらいの年齢の先生で、眼鏡をかけていてとても落ち着いた雰囲気の先生だった。話し口調もものすごく丁寧だった。
そして主治医とは別にもう一人、主治医の下に着くインターンの先生ともここで初めて会った。患者の治療について主に責任を負うのは主治医だが、検査などの予約をとったり日々の措置を行うのはインターンの先生だ。
この先生は、主治医とは対照的で年齢は30台前半、快活ですごく明るい雰囲気のある先生だった。
病室で軽く挨拶を交わした後、病棟のカンファレンスルームに両親と共に呼ばれ、そこで詳細について話を聞いた。
そこでもひとまず地元の整形外科で撮ったCT写真を使って状況の説明があり、今後の検査などの日程について説明があった。
私に告げられた主な事実は16cm程度の大きさの腫瘍があること、
病室で軽く挨拶を交わした後、病棟のカンファレンスルームに両親と共に呼ばれ、そこで詳細について話を聞いた。
そこでもひとまず地元の整形外科で撮ったCT写真を使って状況の説明があり、今後の検査などの日程について説明があった。
私に告げられた主な事実は16cm程度の大きさの腫瘍があること、
今のところ血液検査で異常を示す数値は出ていないがこれから更に細かく項目を分けて血液検査も行っていくこと、
近々PET検査という検査を行うこととそのために必要な手続き、
今後腹膜にある腫瘍を直接採取するために背中から針を刺して生検を行うこと
胃カメラや腸カメラなどの検査も行っていく予定であることであった。
この日、入院療養計画書というものが私に手渡された。
そこで初めて私に与えられた病名は「後腹膜腫瘍」であった。
そこでは入院期間は約2週間とされていた。
こうして慌ただしく初日が終わった。
入院できたことによって、私は鎮痛剤として大衆薬のロキソニンではなく、医療用麻薬のオキシコンチンを処方してもらえることになった。とにかく腰痛が酷かったのでこれはかなり助かった。
世間ではよく誤解されているが鎮痛用の医療麻薬はれっきとした医薬品である。医師の指示通り服用していれば何の問題もない。私もかなり多量服用したが後遺症などは全くない。
がんなどの疼痛(とうつう)が酷い人は医師が勧めるのであれば使った方がいい。
つづく
次回、検査入院!②~緩和ケアとの出会い~へ