周りの人も動揺したままであったが、始業時間が来て仕事が始まった。

非常事態であろうとも、日々の仕事に大きな変化はない。私は日常的にこなさなければならない仕事を、いつも通りに次々とこなしていった。

いつもやっている仕事だ。ただいつもと違うのは、異常な腰の痛みと、私の体の中に腫瘍があって、私がその検査の日程を決める為の連絡をやきもきしながら待っているということだった。

整形外科からの連絡は携帯電話にかかってくることになっていたが、支店の窓口で接客をする仕事なので、電話がかかってきてもその場ですぐに出るわけにはいかない。かかってきたらすぐ廊下に出て話をするか、着信を確認して折り返し電話するかだ。

私は自分の携帯電話を自分の机の中央の引き出しに忍ばせて、こまめに着信をチェックするようにした。

「まだきていないな」。私は仕事の合間合間に電話をチェックした。10時半になってもまだ整形外科からの着信はなかった。

私は焦る気持ちを抑えて仕事に取り組んだ。11時ごろだった。接客から自分の席に戻って電話を見たら何件か着信があった。「ついに来た!」。

私は電話があったことを周囲の人に伝えて、整形外科に電話する為、支店の営業場を出た。

電話は3件ほどあった。留守電も入っていた。一つは整形外科からで、もう一つは母親からだった。3つ目の着信は、出なかった私に対して母親がもう一度かけてきたものだった。

留守電が入っていたのでまずそれを確認した。整形外科からのもので、「大学病院の診察の日程の件で」ということであった為、すぐに折り返した。「先ほどお電話ありがとうございました。ご連絡いただいていた日程の件についてなのですが」。電話をくれていた看護師長が出てきて、とても申し訳なさそうに「大学病院と連絡が取れたのですが、向こうが提示してきた日程が10月11日か10月4日でした。ちょっと遅すぎますよね、、」と伝えられた。その日は9月17日の月曜日である。提示された日程はそれから2週間以上も先であった。

私はまた怒りがこみ上げてきたが、それをぐっと抑えて話した。「遅すぎます。腰の痛みは日に日に強くなっています。できれば今日今からすぐにでも病院に行って検査をしてもらいたいくらいです。遅くとも今週中に予約を取ってもらうことはできませんか。」とお願いする口調で話した。電話の看護師長が大学と私の間に挟まれていて、何の決定権も持っていないことは十分わかっていたが、私にはこの看護師長が頑張ってくれるかどうかがすべてだった。看護師長は「そうですよね、わかりました。もう一度連絡をしてもっと早い日程で予約が取れるよう頼んでみます。」と言ってくれた。看護師長は私の怒りを理解してくれていた。また、私が電話を折り返す前に自宅に電話してくださって、母親とも同様のことを離されていたようだった。

その後、家にいる母に電話して「今大学病院に改めて電話してくれているところだからもう少し待とう。」と話して、再び職場に戻った。誰もが心配そうな表情だった。私は再び携帯を机の引き出しのすぐに見れる位置に置き、職務に専念した。

そして、また着信があった。12時を少し過ぎた頃だった。「9月21日金曜日の11時からでどうでしょうか」。その日が17日の月曜日だったので、4日後だ。「それより早い日は無理なのですか」。十分に交渉してくれたであろうことは理解していたが、私は念のため聞いてみた。「そうですね、、最短で今週の金曜日ということです。それ以上は無理ですね、、、」。私にはどうしても出来るだけ早く診てもらいたい気持ちがあったが、それより早くはできないということで納得した。「では21日の金曜日にお願いします」。

家の母親にも連絡を取り、日程が決まったことを伝え、紹介状を受け取りに行ってもらうように頼んだ。紹介状は自分で受け取りに行っても家族が代理で受け取りに行ってもどちらでもいいと言われていた。私は当初は自分で受け取りに行こうと思っていたが、仕事が終わってから整形外科に着くのが閉店ぎりぎりの時間になりそうだったので、母親に受け取りに行ってもらうことにした。

これで日程については一段落ついた。私は決まった日程を上司や同僚に伝え、4日後の21日の金曜日に休暇を取得する手続きを早速行った。同僚の中には、「もっと早くに行った方がいいんじゃない?あなたいつも控えめだから、もっとしっかりお願いした方がいいんじゃない?」と気遣ってくれる人がいた。確かに普段の私はあまり主張する方ではなかった。自分の意見よりも他者の意見を重視する方であったし、職場では自分のことは後回しにしようと常に心がけてきた。しかし、このときは普段の私とは違っていた。私はCTの画像を見るなり、これが生命の危機であることをすぐに感じ取り、何よりもこの検査を優先しなければならないことを直感でわかっていた。だからとにかく早く検査を出来るようにしてほしいと、整形外科では医者に迫って頼み込んでいたのだ。そうして、何とか1週間以内に大学病院で診察を受けれるということになったから、それで納得することにしたのだ。

そうしてその日の業務が終わる時間になり、私はこの日は定時で職場を出た。帰りの電車も、普段は新快速で帰るのだが、この日はもう腰が痛くて30分立ち続けることに耐えられなくなっていたので、快速電車に乗ってゆっくり座りながらいつもより時間をかけて家へ帰った。

家へ着くと、母親が整形外科から紹介状を受け取ってきてくれていた。1枚のCDと1通の封筒があって、紹介状の宛先には「肝胆膵外科」と書いてあった。肝臓や胆嚢、膵臓の病気が疑われているのだろうか。それ以上の詳しいことについてはわからなかった。とりあえず母と今日の一連の出来事について話し合い、今後の予定について確認した。

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