時は流れ5年ほどが経過した。

私は少しずつ普通の日常を取り戻していた。

社会人としても成長し、異動や転職などを経てキャリアを積み、
責任ある立場を任されたことで自信も付き始めていた。

しかし時折、教会時代の夢を見ることがあった。
心にはいくら蓋をしても潜在的な意識の中にまだ未練があったのだと思う。


時は2020年、コロナ禍。

強制テレワークにより家で過ごす時間が増え、同時に子供たちと過ごす時間が増えた。
子供も成長し、この頃になると小さな命にも自我が目覚め始める。
愛おしい反面、人間の原罪である罪性は目に見える形で表れていた。

ある日、私は子供から聞かれる。

「みんないつか死ぬの?死んだらどうなるの?」
「良い子にしてれば天国行けるよ」

本音は言えなかった。

私の中で切なさがこみ上げる。

子供の向かう先は滅びだろうか。
ノンクリスチャンの家庭で子供が救いに導かれるのは難しいだろう。

見ないふりをしていた不安が再び芽を出した。

神は私の子供をどう考えているのだろうか。

…恐らく答えはない。
この頃、私はもはや神に問いかけることをやめていた。

ふと真理を探るには先人の教えや聖書を読まなければいけないと感じ、私は聖書アプリをインストールして創世記から読み始めていた。
既に聖書を手離していた私は、数年振りに聖書に振れた。


私はなぜ聖書を読み始めているのか。
教会時代は新約聖書ばかりを読んでいたのに、なぜ旧約聖書を読んでいるのか。
自分でも分からなかった。

読み始めるものの、その内容は理解できなかった。

それぞれの人物や物語としては知っていた。
書かれている目的や意図が分からなかった。

霊的な感性が鈍っていたのもあるが、
私の所属していた教会での説教は新約聖書の内容が多く、旧約聖書は人物にフォーカスを当てたものが多かったのも影響していたと思う。

ネットで不明点を調べてみる。

そんな中、私はYouTubeであるチャンネルを見付けることになる。

●BibleProject

 

 

短時間の動画で、一枚の紙に聖書の内容が集約されている様子が簡潔で非常に分かりやすかった。
聖書一文一文を読み進める中では気付けなかった、俯瞰した見方があったのは私としては衝撃だった。

そして、その内容を補う形でもう一つのチャンネルと出会う。

●ハーベスト・タイム

 

 

私はこれら動画をもとに旧約聖書を読み進めていくこととなる。

これら2つの動画に共通していたのは聖書を歴史、ストーリーとして捉える視点である。
私は教会時代、一つ一つの題材を断片的に捉えていた節があった。

何かそこに答えがある気がした。

私はもう一度、神を正しく知りたいと思い始めた。

つづく