もはや何も目的や希望はなかった。
世俗的な成功や喜びは全て空しい。
その思いは変わらなかった。
まさに消化試合。
信頼出来ない神がいるという確信、それだけが空しく残っていた。
死を考えたが、私が死を選ぶこと、それは家族親戚の滅びを決定付けるものになるという恐れがあった。
彼らは間違いなく私が5年半仕えた神を呪うであろう。
もし仮に神によって命を取ってもらえるならそれが理想だった。
とりあえず今の職に留まること、それだけを考えた。
それしかなかった。
ゼロスタート。
いやマイナスからのスタートだった。
この頃、私は社会人3年目が終わる頃になっていた。
私は霊的な働き以外を軽んじていた。
それは仕事に対しても同様で、遅刻、欠勤、早退を重ね、責任ある仕事からも避けていた。
私は周囲から不真面目のレッテルを貼られていた。
当然だ。
まずは遅刻、欠勤を辞めるという当たり前のことから始めた。
そして与えられた仕事を忠実に守り、仕事を積極的にもらいに行くよう意識を変えた。
私はIT業界に所属していたが、3年目にしては周囲と比較すると知識やスキルが圧倒的に乏しかった。
仕事終わりには資格勉強を始めることにした。
仕事に目覚めたわけではない。
何かをしていないと怖かった。
暗闇であがいていたのだ。
…
半年ほどが経過する頃
私は仕事で少しずつ結果を出し始め、少しずつ周囲の信頼を取り戻していった。
信仰生活では神の御心や目的、魂の真意、心の動向を常に探り、メンバーの育成に必死だった。
これらは社会人スキルとして適用出来る部分も多かった。
むしろ職場では利害や目的がはっきりしている分、自分に何が求められ、何をすべきかは比較的容易に理解出来た。
本来貼られたレッテルを覆すのは難しい。
私は環境や同僚に恵まれていたと思う。
今でも彼らへの感謝は尽きない。
入社してからの勤務態度の悪さ、無責任さ、不誠実さ。
これらは若気の至り、ということでチャラにしてもらえたようだった。
こうして、私は空しさ、孤独を抱えながら、新たな道を歩み始めたのだった。
つづく