社会人3年目となっていた私には時間が圧倒的に足りなかった。

ワントップで抱えられる魂とメンバーの数に限界があることを痛感し、後進メンバーに徐々に移譲していく方針へと転換することとした。
そして彼らをリーダーとして育成することを兼ねて、事前に訪問内容をすり合わせた上で彼らに任せ、私自身は帯同しない時間を作ることにした。

しかし、ここで教会スタッフによる介入が入る。
訪問情報をどこで仕入れたか、私に相談することなく彼らの訪問に合流して自身が聖書勉強を始めるという事案が繰り返され、それと並行し、私が抱えていた魂や友人の連絡先を勝手に仕入れ、訪問を行っていることを知った。

さすがに許せない行為だったため、私は抗議を行った。
「あなたは傲慢になり、リバイバルに対する意欲を失っている。これは主のためだ。」
という回答だった。

確かに彼らはリバイバル(魂の繁栄)を求めている。
しかし、彼らこそ謙遜さがなく、節度を越えた行いで自力で成し遂げようとしている。
それは本質的なところで主に信頼していないということにはならないか。

不信感は募っていった。

追い打ちをかけるように、あるメンバーがネットの噂を聞きつけた親の反対により強引に離脱させられる事案があった。
確かに私の所属している教会は、強引な勧誘、大学キャンパスへの不法侵入、人生崩壊など世間的に悪い評判が流れていた。
私のケアしきれない領域だった。

葛藤した。

本当にこの教会に魂を導いていいのだろうか、本当に私の働きは主のためになっているのだろうか。
魂の将来に対する不安もあった。
私は定着しつつある魂や、育成している魂を見て、憐れみの心を感じるとともに罪悪感を抱くようになっていた。

私が教会内で天邪鬼に生きたとしても、メンバーには強要したくない。
ただメンバーにも彼らのようになって欲しくない、というジレンマだった。

そして私は、ある思いに囚われるようになっていた。

「他の健全な教会に行って、そこでチームを再構築したほうがよいのではないか。」

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私の抱えていたメンバー自身も、教会への不満を上げるようになっていたことも私のその思いを後押ししていた。
しかし振り返ってみると、それは本当の意味で彼らの本心ではなかったと思う。
私自身、私のエゴにより、無自覚に彼らを洗脳していただろう。
主は教会内の分裂と党派心を嫌う。
私のしていたこと、それもまた間違ったことだったのだと思う。
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そして私は教会への不信感含めて、本心をメンバーに打ち明けた。

先の見えないなか、メンバーを引き連れて脱会することは避けたかった。
彼らには彼らの意思を尊重し、その後の人生の判断を委ねたかった。
何か悩むことがあれば連絡して欲しいとだけ伝えた。

そして私は、この教会での約5年半の信仰生活を終え、脱会することになった。
心機一転、新たな教会探しを始めるスタートを切った。

しかしその道はさらなる暗闇へと続く道だった。

 

つづく