教会では未信者のことを「魂」と呼び、
積極的に勧誘に携わる信者を「弟子」と呼んでいた。

魂に対する弟子の営みは
・勧誘(伝道)
・歓迎(ケア)
・訪問
であり、まさに自分が受けてきた道だ。

各チームリーダーやチームリーダー補助はメンバーと魂を抱えている。
魂に対しては毎週訪問を行っているようだった。

チームリーダー補助の訓練の一貫で私はKさんの勧誘や訪問に帯同し、魂にどのように歩み寄るか、いかに聖書勉強に切り替えるかなどを実地訓練で学んだ。
Kさんは教会のフルタイムワーカーであること、そして私自身は大学生で比較的時間に余裕があることもあり、ほぼ毎週のように帯同していた。

私は教会に導かれたことで居場所を見つけ、性格も明るくなっていたことを感じていた。
そういう意味で新しい人にも教会に来てもらいたい、聖書を知ってもらいたいと心から思っていた。

Kさんは良くも悪くも宗教臭さがあった。
帯同している中で感じるのは、鋭い人はそれをすぐに察しているようだった。

私は人からどう思われるかを気にする性格であったため、そういった魂の心の動きに敏感であった。
Kさんが強く行き過ぎたなと感じた時は、後でフォローを入れるようにしていた。

世間的な視野を忘れないようにし、世間話や大学生活のアドバイスなど普通の相談にも乗っていた。
出来る限り、私自身は宗教っぽさを出さないように心掛けていた。
…というよりは、他人から宗教の人だと思われたくなかっただけかもしれない。
魂は私を友人や相談相手として慕っているようだった。

Kさんの強引さと私のフォローは上手く噛合い、私が所属するKさんのチームは、他のチームと比べても早いペースで魂が増えていった。
教会のグループ内でも私の働きは評判となった。

私自身、かつての自信のなさは消え、日々自信に満ちていった。

チームリーダー補助に求められる要素は3つ。
・教会での生活態度(礼拝、集会への出席、献金、チームリーダー以上への従順)
・魂に対する積極性
・周りからの評判、評価

私はいずれも満たしているようだった。
この時はまだノルマなどはなく、あくまで将来性を重視した基準だったように感じる。

こうして20名ほどいた受洗同期のなかで私は最速でチームリーダー補佐に任命された。
ここ2、3年の受洗期のなかでも相当早い部類だと話題になった。

この時、1つ年下のZ君もチームリーダー補佐に任命されていた。
別のグループであったが、教会内で何かにつけ比較される事が多かった。
私は彼をライバル意識するようになっていた。

つづく