聖書はストーリーである。
天地創造から始まり、
堕落、
追放、
約束、
葛藤、
渇望、
そしてメシア到来に至る。
聖書は断片的にみると懐疑的な箇所も多い。
非情であり、残酷な神だと感じることもある。
しかし点ではなく線で捉えるべきなのだ。
そして私達の人生もストーリーである。
一つ一つの点は非常に不可解である。
苦難があり
祈り、
期待し、
叶わず、
疑い、
嘆き、
失望する。
しかしふと立ち止まり、後ろを振り返ってみると、そこには共に歩んだ神の足跡が見える。
たらればは尽きない。
あの時教会に踏みとどまっていたら?
罪に堕ちなければ?
クリスチャンの女性と結婚していたら?
子供の救いはもっと身近にあったのではないか?
それと同時に私のストーリーにはまだ未回収の伏線が残る。
なぜ神は今もなお私を訓練するのだろうか。
なぜ神は一人閉ざす私を励まし続けるのだろうか。
はたして、それは私のためだけなのだろうか。
私は後の人生全てを神に委ねるつもりでいる。
…
私には夢がある。
子供と共に捧げる真の礼拝。
家族の救い。
小さなクリスチャンが一人。
普通に考えれば望みは薄いかもしれない。
しかし、私は確信している。
神は私を愛している。
そして私の子供を、家族を、私以上に愛しておられる。
それが根拠である。
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」
おわり
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