市川かよこ〜自分に素直に生きる~ -3ページ目
 
 
久しぶりの投稿です。
 


今日はブログに
自分の宣言みたいになるけど
書き残していこうと思います。



 
いやー、、
35年以上私の中で確立させてきた
奥深くに敷き詰めていたものをね


それだよ!と提示させられ
たくさんのものが溢れ出したんですよ。




そして、もういいわ!と叫んだ私は

燃そう!と決めて
そんな自分を書き出して
セージと共に燃した。

それはそれは涙、涙のお別れでした。


そして燃えた灰を見て
合掌し、庭の土に埋めようって
自然に返しました。






そしたら本来の私が来た。

あたり一面、お花畑になって
私の核に敷き詰められた。


ピンクやオレンジや黄色の色鮮やかな花。
身体の中があたたかく感じる。




あ、これが私か。。


私の中にあたたかさが充満した。






これからこの私で生きていく。



この本来の私で
人と繋がっていく、向き合っていく、
伝える、お仕事をする。


やっとだねーと
どこからか声が聞こえるそれは
かつての私であり未来の私の声だと思う。






ずっと怖くて避けてた。
燃やした私は



嫌われたくない

できれば綺麗な形で
摩擦が起きることなく終えたい自分





だからいつも
頭の中でポツンと?が浮かんでも
違和感を感じたとしても

なんとか綺麗に傷つけない程度にと
頭の中でいつもこねくり回して伝えてた。


だから言葉を選びすぎて伝わらない。
何が言いたいかわからない、になってた。


だけど頭の中でポツンと出たものを
そのまま言うなんて、できなかった。


だって

ストレートすぎるから

シンプルすぎるから



それが真っ直ぐすぎて
突き刺さることを
何度も経験してきたから。



それがどれくらい核心つくかも
痛いほど経験してきたから。


そして時にその矢は
自分を修復するのに
何ヶ月もの時間がかかった事もあったから。




だから相手のココ!
っていうのが見えても誤魔化した。

それが優しさだと本気で思ってた。
それが思いやりだと思ってた。




だけどね、気づいたの。


私が過去傷ついていたのは
自分にとって受け取らなくていい言葉まで
全て受け止めてた時だって。

あの時、私の境界線が曖昧だったから
全て受け止めてたんだよね。





でも、学びの場に身をおいた時
教えてと聞いた時、


その言葉がどれだけストレートでも
どれだけシンプルでも
真っ直ぐ突き刺さっても

それは自分の見るべき所を
無意識に避けてた所を見せてくれた
という感謝しかなかったことに気づいた。





核心をつく言葉は人を傷つける
それは本当は違ったんだと気づいた。



もちろんそこにどんな前提や
スタンスがあるかは当たり前に。





前からなんでもかんでも
言える人じゃない。

そしてその言葉にのる
エネルギーが嫌でもわかる。
なんなら突き刺さる。



だけど、伝える事を私はしたい。
大丈夫だよ!って伝えたい。
そのままであなたは美しいって伝えたい。


その込み上げる思いを私は叶えたい。
そこだけは諦めたくない。






例え目の前の人が核心をつかれて
泣いても叫んでも怒っても
あなたの悪口や影口を言ったとしても


そんな事、どうだっていい


その核心を伝えないまま
臭い物に蓋をしたまま
目の前の人は変わっていけない

本気で変えたくて
あなたのところに来てるのに

そこを提示しないと
それをやりたいんでしょ?


だったら覚悟しなよ!



背を向けたままのあなたに
誰がこれからの人生を預けたいと思う?



そう伝えられた時
私の中でその覚悟をするために
私はここに来たんだとわかった。



それは私のさよならの時間で
私の統合、おかえりの時間だった。




何度も何度も向き合おうとして
逃げてきた。


そんな私は今、庭の土の中で
自然に還ってる。




さぁ、ここからだ。



本当の私で統合した私で
全力で向き合っていく


自分の事より
目の前の人に脇目も振らずに!




本気で変わりたい
本気で変えていきたい
このままじゃなんか違う


そう思ってるあなたに
私は全力でぶつかるよ。