家庭は劇場である、

というのは興味深く、人生の深い問題をはらんでいる。


上手くいっている家庭というのは、家族それぞれが、知らず知らずのうちにそれぞれの役割をこなしている場合が多い。


日々精一杯働き、お給料を持って帰る父親像。

家事をこなし家庭を守る母親。勉学に運動に励む子供たち。


そこには、例えば日本で言えば、高度成長期に目指された中流意識を体現するような家族像がある。


一生懸命生きるということは、また一生懸命演じると言い換えてもよいだろう。


どうせ演じるなら、自分も心踊るような人物の方がいいはずだ。

しかし自分が全く経験してない人物にはぼくらはなれない、大谷翔平にはなれないわけだね。


となると、自分をよく分析して、俯瞰して遠くから見て、自分ならどうするか考えてみた。


人生も 晩年になり、いろいろな場面を経験してきたが、自分が最も輝いていたときの人物に近づくのがいいだろうと思ったのです。




そこで、ぼくの場合、ある著名な建築家に弟子入りするために上京したがその前後、2年くらいの間、家内と二人で夢を語り、アーティスティックな仕事をしていた数年間の男性像を演ずることにしたのだ。


回りには、キューレターから陶芸家、若き音楽家、芸大出身者、ファッション関係者、建築家デザイナー~さまざまなアート関係者が出入りしていた。


その頃の私と言えばデザイナーズブランドに身を固め口ひげと顎髭をたくわえていたが…まずは浅めのニット帽を購入して芸術家を気取ることにしよう。




もちろん、エンジニアとしての日々の仕事はあるわけだが、空いた時間にアートの企画を考えている。

そうして、もうその企画も細かいところまでイメージができている。


こういうことを考えていると、久し振りに時間があっという間に過ぎ去るのだった。



楽しい…




アーティストとしての家庭像を模索していこうと思う。

家内も巻き込まれていくだろう、のみならず、できるだけ多くの人が参加するだろう。