年末というとソワソワして、そしてどこかワクワクしている、その感じは次なる年への期待感の現れだろうか。
今年、ついこの間、地球は「風の時代」へ入ったらしい。長らく「地の時代」であった地球の価値観は変わっていくとみんなが言っている、みんなが言ってるのだから、やはり変わっていくのだろうと思う。
そういうもんだよね。
では、どう変わっていくのか?っていろいろと言われてるけど、おそらくそういうものを越えてくるだろうとぼくは思っている。
でも、あえて言えば、ぼくは「スピード」だろうと思っている。
量子コンピューターなるものが出てきている、コンタクトレンズ型のウェアラブルの開発も進んでいる。こういうものが行き着くところは、もはや人間同士のコミュニケーションはテレパシーのように言葉を介さずに行われる、瞬時に。
因みにコミュニケーションというのは人の話をよく聞くと言うことです。
ゆくゆくは人は相手の心がわかってしまうのです。
言葉でごまかせない世界
ぼくは、テレパシーのようなものは超能力の範疇かと思っていたが、そうではなくテクノロジーによって成し遂げられるのだ、と実感している。
今や、世界の人々がうつむいて携帯を見ている。
なんなんだろう~
誰がこんな時代を想像できただろうか?
そうして、僕らはこの携帯を体の中に取り込もうとしてるんだ。
そうして世界は2極にわかれるだろう、と思う。
テクノロジー派とその反動としてのノンテクノロジー派に。
何年か前にぼくは時代を現す言葉として、「スーパークルーズ」という言葉を使った。
もう一度説明しておくとスーパークルーズというのは「超音速巡航」と言って航空機用語ですね。
大体戦闘機というのはブーストして短い時間音速を越えていたのですが、今の第5世代戦闘機と呼ばれるものは普通に音速を越えてある程度巡航できるんです、F35とかF22なんてのがそうです。
トム・クルーズのMAVERICKを思い出してもらえればイメージできるかもです。
風の時代というのは、ぼくにはのんびりふわふわという雰囲気には思えないのですよ。
このスピードに乗れるのか?
この辺がテーマになると思いますよ。

知っている人がどれだけいるかわからないけれど、
ローマカトリックの総本山、バチカンでは25年に一度を聖年として、普段はしまっているサン・ピエトロ大聖堂の大聖年の扉が教皇によって数日間開かれます。カトリックでは非常に重要なイベントで15億人以上の人がみたと言うことです。
今年はその聖年にあたります。
2000年の始まりを告げる前回の聖年には
当時の教皇ヨハネパウロ2世によって1999年12月25 日厳かに開かれました。
そのとき背景に流れていたのは二人の日本の女性による「サクラ」の琴の調べでした。
サクラの琴の調べにあわせて、大聖年の扉が開いたのです。
それは衝撃的でした、世界から見れば片田舎の日本の曲が流されたのです。
日本に対する期待の現れだと今でもぼくは思っています。
さて…
今年の大聖年の扉はどのように開くのだろうか?
今年はミサに行こうかとも思う。
今年最後の投稿とします、みなさまいつもありがとうございます。