私が20歳か21歳のころ、名古屋大学に通っていたが、地下鉄を降りて大学へ向かう途中にアトリエというかスタジオのようなものがあって、よく出入りするようになった。
美大を卒業された奥様と商空間のデザイナーのご主人が経営されていて、建築学を専攻していた私には刺激的に思えたものだった。
そこに出入りする人たちもアパレルの工場が多い岐阜が近いこともあって服飾デザイナーから、陶芸家、若き音楽家、建築関係者などアート関係の様々な人が出入りしていた。
そこで僕らは先端のアートシーンを語り、スタジオが主催する企画展などに参加したりした。
僕の部屋には絵画やポスターが、増えていき、それは今も私の生活を構成している。

そんな中で、けんじさんという陶芸家に出会った。正確にはけんじさんの作品に出会った。
向山一本松窯を名乗っていた。
私はまず、そのぐい飲み心を奪われた。
数十年たった今もぼくはこの素焼きの器でご飯を食べている。また、このぐい飲みでお酒を飲んでいる。地震や引っ越しなどをくぐり抜け今も僕らの生活を潤してくれている。
この若き陶芸家のけんじさんはやはり売れなかったのだろう。奥様がその生活を支えていたようだ。その作品集も持っていたが、それらオブジェは苦悩に満ちていたように思う。
しかし、その器たちは、ギャラリーのオーナーをはじめとして僕らを惹き付けてやまなかったことも事実だった。
数年してけんじさんの訃報を聞いた。
お酒の飲みすぎだろうか。
僕は、彼の人生を思うとき、芥川龍之介の警句を思い出さずにはいられない。
「人間は、時として、充たされるか充されないか、わからない欲望の為に、一生を捧げてしまう。その愚を哂う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない」
この限りある人生を実りの多いものにしたいと思いますよ。



