ピアニストのフジ子・ヘミングさんの追悼番組が、深夜にやっていたようで、連日の残業で疲れすぎて寝られなくて、テレビをつけたら終わりのほうをやっていて見いってしまった。おそらく再放送だろうと思う。
https://youtu.be/pJZIBHsw3w0?si=Uokvo6qviZMySevC
ぼくはこの人が好きでよくピアノを聞いていたんだ。
巧妙なさっぱりした語り口とおしゃれなセンスに
自分仕様に仕立てた服をいつも着ていて、ブレイクした1999年と言えば、ぼくらは東京にいてデザイナーをしていた頃でファッショナブルなふじ子さんにまず惹かれたように思う。ブレイクした当時はふじ子さんは67歳だったそうである。
ちょっと長いがおもしろい動画をのせておこう。
https://youtu.be/Smhr3lV0re4?si=H8j7x0w55EhrWOf7
それとウィキからの抜粋から。
スウェーデン人建築家の父と日本人ピアニストの母の間にベルリンで生まれ、1930年代半ばに5歳で帰国。母からピアノの手ほどきを受け、東京芸術大を卒業後、ベルリンへ留学した。
その後も欧州で演奏活動を続けたが、かぜが原因で一時両耳の聴力を失い、活動を中断。後に左耳の聴力は一部回復し、ストックホルムでピアノ教師を長年続けた。
95年、母の死を機に60代半ばで日本に帰国。再起を懸けたリサイタルや数奇な人生を取材したNHKのドキュメンタリー番組が99年に放送されると大きな反響を呼び、同年発売されたデビューアルバム「 奇蹟きせき のカンパネラ」はクラシック音楽では異例の大ヒットを記録した。
2000年代から本格的なコンサート活動を始め、海外の有名オーケストラともたびたび共演。多くの録音を行ったほか、半生を描いたテレビ番組やドキュメンタリー映画も作られた。また、動物愛護活動などに熱心に取り組んだ。
昨年11月に自宅で転倒し、コンサートをキャンセル。リハビリを続けていたが、今年3月に膵臓がんと診断され、療養中だった。
動画にも出てくるが、ぼくが生まれる前にベルリンに留学しようとするが、戦後の混乱でふじ子さんは無国籍状態で日本から出られなかった。それを当時ファンだったドイツ大使館の方で赤十字の難民パスポートをつくってもらって留学したそうだ。日本からも結構留学していたそうだが、ふじ子さんが無国籍ということで随分冷たくされたそうで、戦後の混乱期にそんな人は世界中にたくさんいたのに、そんなことをするのは日本人だけだったようだ、恥ずかしい民族だね。
最後にブレイクした奇跡のカンパネラをのせておこう。
https://youtu.be/S-e6m3cwDPI?si=OX-JkDLDTPeGEToA
海外ではショパンとリストのために生まれてきたピアニストと紹介されている。
「少しくらい間違ったって構わない。機械じゃあるまいし。」フジコヘミング
魂のピアニストですね。世界中に熱烈なファンがいました。
そうして、家には24匹の猫と1匹の老犬がいたそうですよ。
そういえば、ぼくが師事した著名な建築家もそれくらいの猫と暮らしていたっけ。
ではまた。