1995年Windows95が、マイクロソフトから鳴り物入りで発売された年は、また、地下鉄サリン事件という忌まわしい事件の起きた年だった。

当時、霞が関に勤めていた家内は電車一本の差で命拾いをしたのだった。



その年、私と家内はガイアシンフォニーという映画の試写会に渋谷の東急の映画館にいた。冷たい雨の降る中、客もまばらであったがそのガイアシンフォニー第2番にいたく感動してしまった。




とりわけ冒頭に出てくる佐藤初女(はつめ)さんに心を奪われてしまったのだ。



初女さんのおにぎり



初女さんの作るおにぎりが、人々を癒すのだった。人生に疲れた人がふらっと森のイスキアにやってきて、そのおにぎりを食べて元気になってまた自分の人生に戻って行くのだった。


私は、初女さんの人となりが知りたいと思って、著作を読んだりしていたが、ここにきて、初女さんとガイアシンフォニーの監督との対談がアップされていた。初女さんのこと知りたい人にはとてもよい動画であった。が、ちと長い50分もある。



そこで、初女さんは食事というものは食べる人が本当に美味しいと思わなければ、その人の栄養にはならないよ、レシピで作っただけではダメよ、と言っていた。

お米というものもこの米がどれだけ水を吸っているかを考えて水の量も決めるわけだし。



そうして、ダライ・ラマ14世のこんなエピソードも話していた。

地球は、セカイはこれからどんどん悪くなるかもしれないが、それはけして悪いことではなくて、それを乗り越えた先のセカイのためにあるんだ。
そして、食べ物がなくなった時のためにと、今、ダライ・ラマ14世は実のなる木を植え、そしてその実を育てて食用にするために、その実をセカイに届けていた。

ガイアシンフォニー2番を見た、あるおばあさんの元にもその実が届いていて、この実は初女さんのもとにあるべきだと言って、クルミの実を何個か送っていたのだった。そのダライ・ラマのくるみの木が森のイスキアでとても大きくなっていた。

もう、初女さんはこの世にいない。


彼女はこうも言っていた。

「今を一生懸命生きなければならない」

今を生きることで、夢が追えなくなるのでは?とよく言われるんですが、そうではないんです。
今を生きることで、夢が実現するのだと。


1994年10月28日の初女さんの夕食

菊とキノコの和え物
ふきの塩こぶ
ニンジンのクルミ白和え
かぶのかす漬け
ご飯と梅干し



今も昔も
大切なものは何も変わっていない