復興が進む阿蘇神社。


阿蘇都媛のみことというのは阿蘇神社に祀られている御祭神です。第2の神殿に祀られています。


先日阿蘇に行ったときに見つけたのですが、霊廟のようなものもある。

阿蘇という都市は外輪山と噴火口に間にすっぽり収まった不思議なロケーションをしている。
外輪山とは元々あった山の形を現していて、かつて大噴火があったことも想像できる。その大きさから言って超古代、阿蘇山はとんでもない大きさであったことが想像できる。

阿蘇という都市は、熊本県で言えば北部であるが、九州のほぼ中央に位置している。

最近になって邪馬台国は、九州の内部、八代とか人吉とかあの辺にあったというひとも出てきて、なんとなれば、その中心は外輪山という天然の要塞に守られた阿蘇ではないか?と思うようになった。

私は、なんだかんだと言って、月に1、2回は、阿蘇に行くのだが、ドライブするだけで不思議に癒されるのだ。

ちなみに天孫降臨の高千穂は、すぐ隣にあり、大祓の祝詞に出てくる地名もすぐ近い。
周囲には意味深な場所も多く、例えば、山都という地名、弊立神宮なんかもあり、時代も弥生ということも考えれば、なぜ、ここが注目されないのかわからない。

私が信頼しているちぃ様の記事ね⬇️


ちぃ様に神様は、どういう姿なのか聞いてみたことがあって、そのときの回答が、神様は、どのような形もとりうる、あなたが見たいような姿です。ということで、人は自分の脳内にあるものしか見ることができない、結局僕らは自分のいいようにしか現実を認識できないのであって、それは霊能者もしかりであろうとおもう。

もっと言えば、この世は僕らの内面のエネルギーの投影であって、仮にこの世の実相があるとしても、我々人間にはこの世の実相はわかりようもないのだ。

永い年月をかけて、ぼくらはそうやって歴史を作り上げてきた。
私はほぼ直感によって行動しているが、仕事の関係で言えば福岡にすむべきなのに、なぜ熊本にいるのか?そういった答えが徐々にわかってくる感じがする。

私の内面のエネルギーが、阿蘇を求めている。

私の脳内には神々は骨肉を持った生命体としてある。なので、阿蘇都媛のみことを意識するとそれはもう重みを持った姿としてある。けして霊能者のように見えたり、聞こえたりするわけではないが、そのように感じられるのだ。

現実は脳内ワンダーランドだ。
どうせ脳内の投影であるとしたら、神々を銀幕の俳優のように捉えた方が楽しいのではないか?そうやって思っていくと阿蘇都媛の神秘的な美しさが浮かんでくる。

そもそも阿蘇都媛のみことが、卑弥呼であったら、という発想は、阿蘇神社で霊廟のような場所からのインスピレーションだったが、案外的をえてるのでは?と思うと

そろそろ私の神功皇后の巡礼から始まった九州を探る旅も終わりに近づいているのかもしれない。そんな印象を持った。

結局、九州とはどういう場所だったのか❗しばらくはこの問いに翻弄されるかもしれない。


阿蘇山火口



ではまた。