元少年兵の話をテレビで見ていて思うこと。


その方は93歳でまだまだお元気そうだった。

戦争に行くのが当たり前の時代を生きた人だ。

当たり前と行っても、じゃあ行ってくるからという時には、母親は物陰で泣いていた。


そういう時代、

誰が喜んで我が子を戦場に行かせるのか。


訓練が終わっていざ戦地に赴く頃になって、その教官が、両親に連絡をとってくれるんだな。

そういう人間としての情の部分は残ってたんだな。それとも彼らが、14歳という少年兵だったからだろうか?


そして父親が会いに来てくれた。ここら辺でいいだろうといって、公園の一角に座った。そして持ってきた風呂敷を開くとそこには母親の手料理があった。



ここまで見てきて、何か間違ってるんじゃないか俺たち、そんな風に思ったよ。


華美なことをしなくても、人をもてなすのにこれほど心のこもったものはないだろう、ということ。

ものはすべて精神に属するものだよね。

お母さんは、最後の最後に思いを込めた料理を手渡す。そのご飯には母親としての子供を思うすべての心が入っている。心を愛情で一杯にして戦地に行ったんだね。

ものには作った人の心が必ずこもっている。そこに僕らは心を込めて仕事をすることの大切さを感じるんだね。


ちょっと長くなるが、


私の実家のある町には人間魚雷回天の訓練場と発射基地跡がある。終戦間際の海軍の特攻兵器だった、以前そこに行って帰るときに英霊の一人がついて来たらしい。


帰ると、家には家人が一人しか居なかった。


私がピンポンを押すとドアのガラス越しにピンクの服を着た人が鍵を開ける風だったのですぐ開くかと思っていたらなかなか開かない、仕方なく2階にいる家人に電話してようやく開けてもらったのだが、はて~


では、あのピンクの人は?ということになって

当時交渉があった霊能力のある人に聞くと。

「だから、何かあるかもしれないって言いましたよね、といって、次のような話をした。私が回天の聖地に行くことがあらかじめわかっていた家族が、あなたのいえに待機していたのですよ、数日前から。あなたについてきた英霊も家族を守るために戦地に赴きましたが、その家族も実は空襲でなくなっていたのです。今回あなたが聖地に行くときいて、あなたの家を借りて一家団欒を体験したかったのですよ。」

私はそれを聞いて、

一家団欒❗

そんなささやかなことを、と思うと涙が込み上げてきました。


私は家族に一部始終を話すと普段はアンチスピリチュアルな家族がみんな、では、ささやかな宴を作りましょうといって普段お酒を飲まない息子も飲んで楽しいひとときを過ごした。


その夜、雨の予報もないのにサーッと雨が降った。


私は霊能者に連絡をとると、彼女はこんな風に言ったんですね。


「あのご家族は成仏されましたよ、よほどあなた方に感謝して行かれたのですね、その雨は今後私たち家族に幸あれと願ったご家族と水龍が降らせた慈雨の雨です。ひょっとすると夢に出てくるかも知れませんよ」


夢には、出てきませんでした。じつは回天記念館には何度か行っていて、その度に気になる英霊が一人いたのです。おそらく今回戦争の英霊を上にあげることをしていた霊能者と水龍が、いたために実現したのだと思います。


私たちは実はそんなささやかなことしか望んでないのです。


今回のお盆休みは4日しかなく移動を考えるとたった2日しか一緒にいられない。


でもねちょっとでもいいから、母親や父親には顔を見せた方がいいのだよ。それがどんだけ嬉しいことか。


ね、遠いとか時間がないとかって理由にはならないと思うんだよね。



戦後78年。戦時中にしか生きることが出来なかった人々がいることを私たちはけして忘れてはならない。また、その英霊たちがにこやかに微笑むような生き方を私たちはしなければならない。


長くなりました


ではまた