朝早くアパートメントを出て香椎宮に行ってきました。公共交通機関で、2時間かかります。始発でまず荒尾駅から大牟田駅まで行って、そこから天神という福岡の中心部に向かいます。
香椎宮というのはそこから地下鉄などを乗り継いで東区にあるんですね。
古来、九州に足を踏み入れる者はまずは香椎宮に詣った訳なんです。もう何年も前に九州に初めて出張に来たときに、何故か今でもわかりませんが、導かれるように、香椎宮に参拝したのです。そのときの高揚感とかワクワクする気持ちを今でも感じることができます。なぜだかわかりませんが。
その時撮った写真にことごとくいろいろと写っていてそれをまとめることにしました。別にヤバイものではありません(笑

これは境内の楼門の手前を撮ったんですが、中心に身重で剣を携えた美しい女性がいます。この方が祭神の神功皇后です。史実にも合います。手前の方にみどりの制服を着た男性とピンクの女性が写っていますがこれもありし日の仲哀天皇と神功皇后であると思われます。
ここには夫婦の男女の愛情のようなものがあるような気がします。
何故にぼくにこういう風景を見せたのか?これは今もってわかりませんが、以後私は九州に散らばった仲哀天皇と神功皇后の痕跡をたどり、巡礼の旅に出たわけです。神功皇后というのはある意味日本という国を作ったとも言える人で、その伝説は九州のいたるところにあるのです。


これは実は香椎宮には古宮があって昔は仲哀天皇と神功皇后の霊廟があったといいます。もともとは、仲哀天皇と神功皇后の邸宅があった場所でつまり古代はここに皇居があって当時は戦いの最前線に天皇自ら出陣していたのですね。ここには仲哀天皇がどう暗殺されたか!が書かれているように私には思えます。
絵には女性に槍に突かれた様子がみてとれます。
もう十数回と香椎宮には行ってますが何故かこの日に集中してるんですね。まだまだあるのですが、主だった物だけにしますね、長くなるんで。
過去に投稿したものから集めてますが、これは一の鳥居で、影とは別の方向、境内の中から何かが出てきてるのがわかると思います。
これくらいにしておきます。
私は以後、ほとんどすべての神功皇后ゆかりの土地をこの足で確かめました。
山口県の長門市にある忌宮神社(いみのみや)は、二人が滞在して皇居があった場所です。
そうして、二人の子供が生まれた場所、宇美八幡宮、その生まれたお子さんが応神天皇といって、現在の八幡宮の御祭神になります。総元締めです。あとは、夕日が美しい宮地嶽神社、小山田斎宮
この辺もすべて神功皇后ゆかりの土地です。
行く先々で、結婚式に遭遇したり、雹が降ってきたりいろんなサインも受け取ってきたわけです。
それをきっかけに、福岡と大分の境にある英彦山に行ったときも山頂の上宮で神々しいものに遭遇するわけです。
その辺りはまた次の機会に出すとして、今の私のルーツと呼べるような場所なんですね。
そうして、ぼくは神功皇后がとても好きなんですね。
最後に神功皇后のお言葉をのせておきます。
「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する」
この決意からしても、神功皇后は、日本国にとって真に女神様であると確信しました。もちろん私にとってもかけがえのない女神様ですから。



