香椎宮から始まった私の神功皇后の巡礼の旅は小山田斎宮で一応の終了ということになりそうだ。

この小山田斎宮の存在を知ったのは「ひもろぎ逍遥」というブログからだった。

神々に背いて神々から命を絶たれたようになった、仲哀天皇のためにもどうしてもそのときの神々は誰だったのかを明らかにしなければならなかった。

神功皇后は、この田園地帯にある小山田斎宮で自らが神主となって神降ろしをしなければならなかった。武内宿禰が琴を弾き、中臣の烏賊津の使主を審神者として交霊術を始めたのです。

その迫力ある様子は「ひもろぎ逍遥」に詳しいので抜粋すると。

村社 斎宮
祭神 天照大神 健布都神 事代主神 住吉三神 息長足姫尊
由緒 日本書紀 巻九の「オキナガタラシ姫(神功皇后)の尊の巻にこう書いてあります。

仲哀九年の春二月に、仲哀天皇が筑紫の香椎宮で崩御されました。この時皇后は、天皇がご神託に従わなかったために早く崩御された事に心を痛めて、考えました。祟っている神を明らかにして、神の勧める財宝の国を求めようと。

そこで、群臣と百人の司たちに命じて、国中の罪を払い清め、過ちを改めて、さらに斎宮を小山田の邑に作らせました。

三月の壬申の一日に、皇后は吉日を選んで、斎宮に入って、自ら神主となられました。そして、武内宿禰に命じて御琴を弾かせました。中臣(なかとみ)の烏賊津(いかつ)の使主(おみ)を召して審神者(さにわ)としました。そうして、織り物をたくさん、御琴の頭と尾のところに供えて、申し上げました。

「先の日に天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。願わくは、その御名を教えて下さい。」と。
七日七夜経って、ようやくお答えになりました。

「神風の伊勢の国の度逢県(わたらいのあがた)の五十鈴の宮にまします神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)。」と。

烏賊津の使主がまた尋ねました。
「この神以外に他に神はいらっしゃいますか。」
お答えがありました。
「旗のように靡くススキの穂が出るように出た吾は尾田の吾田節(あがたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神である。」と。

「他におられますか。」
天事代虚事代玉櫛入彦厳之事代神(あめにことしろ、そらにことしろ、たまくしいりびこ、いつのことしろのかみ)有り。」

「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」

そこで、審神者が言うには、「今答えずに、また後に出て来られることが有りますでしょうか。」
すると答えがあった。
「日向国の橘の小門の水底に居て、海草のようにわかやかに出てくる神、表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)の神がおる。」と。

「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
ついに他に神がいるとはおっしゃいませんでした。その時に神の言葉を得て、教えの通りにお祭りをしました。

と有ります。これが即ち、本宮の起源です。
この託宣でここにはオキナガタラシ姫の尊を一緒に御桐殿に合祀しています。
オキナガタラシ姫の尊は神恩を祈願して、稀有の神蹟を得ました。

斎宮ご祈願霊蹟
 聖母屋敷は本社の西南の小川を隔てた所にあって、今は民有地だ。
中央に聖母宮の小さな祠があり、周辺には大神宮址、武内社、-略―。

神懸かりとか、サニワとか、こうやっているのですね。なんだかすごいです。知りませんでした。

ここに

撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)

というのは天照大御神のことです。

実際に訪れてみました。田園地帯の小さなコミュニティーにあるような感じですが、古代はこのこんもりとした杜が、かなり象徴的に目立っていたように思います。水辺もすぐ近くにまで延びていたはずですし。




二本の巨大なイチイガシが、まるでピラミッド複合体のパイロンのようにそびえ立ち、中に尋常でないものが内包されていることを示唆しているかのようです。


反対側を見ると、意外に遠くまで見渡せることがわかります。やはり古代はもっと象徴的な場所だったはずです。











この場所に立ってみると、ここが古代、とても重要な場所であった確信がわいてきます。

ここはあまりに重要であるがために注意深く隠されたといってもいいかもしれません。そんなことを思いながら斎宮をあとにしました。


私としては、この近くに聖母屋敷と呼ばれる神功皇后の屋敷があったことを踏まえると、仲哀天皇亡きあと、この地で愛情あふれる時期を過ごしたのではないか❗とも思えます。

もちろん、応神天皇もここで生まれ生活しているはずなんですね。

応神天皇が誕生したという宇美八幡宮にも行きましたが、どうも違うような気がするんですね。あそこはあっけらかんとしすぎている気もしますし。

私は神功皇后のことを思うにつけても、彼女がいなければ、今の日本はなかったのでは?と思うくらいです。

そうして、

「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する」

という決意からしても、神功皇后は、日本国にとって真に女神様であると確信しました。もちろん私にとってもかけがえのない女神様ですから。