香椎宮には楼門の前に綾杉という御神木がある。
神功皇后が三韓征伐をしたあと、三種の神器を埋めてその上に杉に苗をさして誓いをたてたそうだ。
その辺りの事情は、ひもろぎ逍遥というブログに詳細に書かれている。
ちょっと抜粋すると
((御剣御鉾鐡御杖)を埋めて、その上に杉を植えて、「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する。」と誓われた。
ぼくがどうして神功皇后ゆかりの地を訪ねるようになったかは、やはり初めて訪れた香椎宮での強烈なヴィジョンであったろうと思う。
もう何度もブロフにのせているこの絵である。
中央に剣を構えた身重の女性はまがいもなく神功皇后であり、またこの絵の中には子供を抱く姿、仲哀天皇との思い出…なども現れている。
何故に私に見せられたのかは、わかりようもない。
私はこのヴィジョンを見てまた、綾杉にかかる神功皇后の決意を見るにつけ、神功皇后の子供は仲哀天皇とのお子ではない、というような後世の人の心ない憶測に心を痛めます。
「後世の人が杉のように真っ直ぐな心で君に仕えるならば私はその人を必ず守護する。後代までも我が霊をこの杉に留めて異国を降伏する」
私はこの決意文を見るたびに、涙が出てきます。周囲をはばからず声を漏らすこともあります。ここまで日本のことを思う人たちがいて、今の日本がこのようであるのは、やはりこういう方たちのお陰であると。
この決意文を見ただけでも的外れなことです。加えて、私が見たヴィジョンからしても、けして伝説ではない
私は毎年のように香椎宮を訪れた。そうして、いつしか神功皇后の足跡をたどるようになったのだ。
忌宮神社、そうして、忌宮神社からほど遠くない場所にある禁足地になっている仲哀天皇の殯の場所、
宇美八幡宮、筥崎宮、住吉大社…
そうして、明日、小山田斎宮にいこうとおもう。
日本書紀にも出てくる古い由緒ある場所だ。
仲哀天皇が、神々の怒りにふれて命を落としたとき、神功皇后は、自らが祭主となって、いったいどういう神が手を下したのか、聞き出すわけだが、このシーンがやはり、「ひもろぎ逍遥」にかかれていて、圧巻である。交霊のなんたるか、審神者のなんたるかが良くわかる。
さてその小山田斎宮だが、過去に何度か行こうとして叶わなかった、今回ようやくタイミングがあったわけだが、同時に、私の神功皇后の巡礼の旅も終わりに近づいているようにも思う。
なぜだろう❗このときめきは。ぼくはこの地でなにか重大なものを見つける気がしている。
先週は宗像大社であったが、同じ方向へまた向かおうとしている。

