母が亡くなってから私たちは父方の祖父母の家へ引っ越した。
引っ越してからも母がいない生活が辛いとか思うことはなかった。
周りの大人は「可愛そう」「辛いね」「偉いね」と言ってくるが何が可愛そうで、辛いのかわからない。何もしてないのに偉いのか?
生活の変化からか小学2年で夜中お漏らしを数回した。
きっとこれも母を亡くした心の傷とでも思われていたのかもしれない。
本人は全く「死」を理解していないというのに。
学校帰りに友達と別れた後の帰り道ではいつも心の中で母に話をした。
「私は元気だよ!」
「お母さん元気?…死んでるから元気ではないか?笑」
「今日はこんなことがあったよ!」
返事は返ってこないけどきっと聞いていてくれる気がした。
それと、死んだ母に話しかける「いい子(可愛そうで健気な)の私」に酔いしれてる感もあったと思う。
オバケや暗闇が怖い時は
「私にはお母さんが付いてる!」
と思うようにした。
母が守護霊だから何があっても私を守ってくれる。
だから、私は平気だって言い聞かせた。
好き勝手やってる父は母が死んだ後、不倫関係にあった女性と再婚した。
姉はそんな父が許せなかったみたいだけど、私は特に反抗することなく受け入れた。
あまり深く考えるのが苦手なので、家に人が増えることを単純に喜んだ。
しかし再婚相手と家族は上手くいかず、父と再婚相手は家を出て行った。
私たちは端から見たら親に捨てられた子供となった。
祖父母に育てられ、家庭環境が複雑なだけあってちょっと大人びた子供になっていく。
中学2年になると立志式というものがある。
大人の仲間入りをするとかで、学校の体育館で親と一緒に話を聞いたりする式典。
式が始まる時間が迫ってくると親御さんたちが集まりだす。
ほとんどの家は母親が参加する。
それを見てるうちに
なんでうちは母が来ないんだろう?
と、いたたまれない気持ちになり涙がこみ上げてきた。泣いてる姿を見られたくなくて非常階段でうずくまった。
お母さんがいない…
死んだから…
あっ、死んだらもう会えないんだ。
ようやく「死」を理解したのだった。
それまではどこかでまた母に会えるような気がしていた。
永遠に会えない。
会いたくても会えない。
それが「死」。
立志式には父が来てくれた。
母がいなくなってから22年。
いつの間にか母といた年月よりもいなくなってからの年月が長くなり、
母が結婚した歳を追い越し、
子供を産んだ歳も追い越し、
今年ついに母が生きた歳さえも追い越してしまった。
今までは
結婚した時お母さんはどんな気持ちだったのかな?
子供が生まれた時どんな気持ちだったのかな?
お母さんもこんな感じで子育てしてたのかな?
と想像してきたけど
これからは母が生きられなかった30歳以降の人生を母の分まで生きていく。
母に教わることがなくなってしまうのは悲しいけど私には家族がいる。
皆であーでもない、こーでもないと言いながら頑張って切り開いていこうと思う。
完
番外編?
父の名誉のために。
不倫して、子供捨てて…ロクでもない父親だと思うでしょう。
でも、実家に帰ってきました。
うちの子供達を見ながら
「お母さんがいればな~」
という言葉をよく口にするようになりました。
母が生きていたら孫に会いに行ったり、孫を連れて出かけたり、あーでもない、こーでもない言いながら笑っているんだろうな~~と。
父は寂しがりやなんです。
不器用で強がりで…
だから母がいなくなって1人では耐えられなかったんだと思います。
人肌恋しくなるのも理解ができます。
子供より女の人を選んでしまったというのは人としてどうかと思いますが、不器用なので仕方ないのかと…笑。
子供を置いて家を出ても、毎日仕事帰りに家により学校の配布物の確認や行事の参加など父なりの努力はしてくれていましたし。
全く愛情がなかったわけでもないと理解してます。