グレーハウンドバスの旅 コロラドスプリングスへの道 | Kenji Motoyoshi

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旅とスケッチ、ワインとルーマニアのブログです

雪の重さで耐えかねた木の枝が乗っていたグレーハウンドバスを直撃。予想外のアクシデントで大変な一夜を経験し、ようやくアマリロに到着。これからデンバーに向かう。

今日も雪が降り続く。

 

10月31日 火曜日 雪

 

仮眠から覚めてもあたりは雪模様。デンバー行きのバスは想像通り遅れてやってきた。1時間遅れで出発すると理由が良く分かった。雪が横殴り。とてもフルスピードでは走れないのだ。時間とともに雪は更に強くなり、風景は白一色に変わった。テキサスの大平原に伸びるフリーウエーを強風にあおられる雪の塊が大きな獣のように道路をなめていく。まるで砂嵐に飛び込んだよう。大きなグレイハウンドバスでさえ時折風に動かされスリップする。

しばらく走ると今度は雪がバスにへばりついてきた。ワイパーの動きもぎこちなくなり、時々若い運転手は車を止めては雪と氷をはがしてまた走り出す始末。

 

やっとの思いでニューメキシコ州のはずれの小さな街、ラツーウンに着いた時は昼もまわっていた。テキサス州からバスはなんとか無事ニューメキシコ州へと進んだのだ。

休憩所でバスを見るとフロントはもうほとんど氷で覆われていた。行き先掲示板のデンバーと言う文字も判読が難しくなっている。

冷えた身体をレストランの暖かいコーヒーで温め一息つくが、なんだか先行きが不安である。一歩外に出てみると、積雪は20センチを超えている。周りの風景は、なんとなくメキシコの臭いのする家並みが沢山雪に埋まっていた。これはまた美しくもあるが、晴天の日に来てみたかった。

 

ニューメキシコ州は名前からもラテンの臭いがするが、歴史も複雑で、ネイティブ・アメリカン、いわゆるインディアンの居留地が多くあることでも有名だ。またメキシコからの移民やもともとヨーロッパからやってきたスペイン系の住民も多く、合わせてヒスパニック系が45%前後、インディアン系住民が10%近くをしめている。今でも25%近くはスペイン語がつかわれているようだ。家並みが今までとは異なるのは、その住民のルーツからレンガ製の家が多くラテン系のデザインが多いせいでもある。ネイティブ・アメリカンはここでも生活のためにカジノの運営を国から許可されているようだ。産業は農業に牧畜。但し原子爆弾の実験場もありで悲しい歴史もある。

アメリカは州が一つの国の様だと言われるが、この大雪の中の風景もテキサス州とは様変わりしているのが分かる。人種も今までとはすっかり変わっている。天候が良ければもう少し散策したかったが、残念。

 

それでもバスは走る。運転手は小太りの年配の方に代わり、この天候に慣れているのか、口笛を吹きながら出発した。さすがラテン系、陽気だ。さてデンバーにはつけるのだろうか?ひたすらルート25を北上する。

 

さらに積雪が多くなったフリーウエーの走行は騒音が雪に吸い取られて静かな旅となった。乗客は相変わらず少なくて会話も聞こえず車内を静寂が包む。数時間は何も変化がなく所在なく流れるバスのカーラジオの音だけが時折聞こえてくる。風景は相変わらず白一色で何時間も変わらない。「ケネディ元大統領の愛人はマリリンモンローだった。あのケネディがね・・」とラジオではよくあるゴシップ番組を流していた。実際はどうだかわからないが、庶民には興味があったのだろうか。

 

 

しばらくしてフリーウエーを降りるとニューメキシコ州のプエブロという街に着いた。ここでまた小休止があった。プエブロは有名なインディアン種族の名前だが、プエブロの街は果たしてこの種族の名前からとってつけたのだろうか。

 

しかし晩秋の昼は短く、雪の風景も濃いブルーの世界に変わって来た。すると黄色に光る雪の塊が道路の両サイドに沢山見えて来る。よく見ると大雪に足を取られて立往生し止まっている車の明かりだった。横手のかまくらのようにこんもりと盛り上がっている。それにしても大丈夫だろうか、排気ガスでやられないだろうか。雪は車をすっぽりと覆っている。時々すれ違う車は山のような雪をボンネットや屋根に載せていて雪山が動いているようだ。

 

休憩が終わると、バスは気を取り直したようにまた雪の中をさらに北に向かって25号を走り出した。行くんだデンバーへ。といったところか。しかし雪の足は速く、思うように勧めず、我々のバスは行く手を阻まれ、ついにデンバーの手前のコロラドスプリングスでストップとなってしまった。時は夜の8時になっていた。予定では午後3時着。バスはかなり遅れたが、確かに、ついにコロラド州に入った。テキサスから一気に北上してきたことになる。

 

私は、しかたなくバスを降りて今夜の宿を探すことにした。まったく当てもなくふらふらと暗い道で雪に足を取られなが進むと、赤い小さなホテルのサインがかろうじて積もった雪の中から光っているのを見つけることができた。「ラッキー」と思わず口ずさむ。小さな掘っ立て小屋のようなホテルだがもう選択肢はない。このホテルに泊まることにした。

軋んで重いドアを開けると、すぐにもうフロント。タバコやシャワーセットもカウンターに並べて売っている。うす暗いカウンターにぼんやりとたたずむ職員は高齢の白髪のお爺さん。眼鏡をずらしながら私をじろりと根目回す。「泊まるのならIDを見せな。一泊シングルで5ドルだよ」。私はパスポートを見せ、ポケットから5ドル札を出して渡した。期待は全くできないが、これで凍えずにすんだ。奥のバーカウンターからは地元の人らしい髭面の中年の男たちがウイスキーを飲みながら煙草をくゆらせて珍しそうに私を見ている。アジア人がこんなホテルにふつうは来ないのだろう。少し怖い。なんだか昔のアメリカ映画の一場面のようなフロント風景だ。よそ者は来るな、と。

 

 

部屋は本当に狭かった。暖房は鉄パイプ製の時代物が窓際に通っている。シューシューとうるさい。トイレとシャワールームがまがりなりにもついている。良かった。早速熱いシャワーを浴びた。あー生き返った。そして久しぶりに、確かにベッドに横になり、この何もできない二日間を反芻しながら眠りについた。(雪の話はまだ続く)