以前、最後にお世話になったケアマネさんのことを書いた。その方が所属していた組織は、結構いろんな機能を持っていて、病院、リハビリ、グループホーム、デイサービス、その他もあったと思うけど、とにかく、ナントカ医療法人ウンチャラ会、みたいな感じで手広く商売をしていた。ので、最初はなんか胡散臭いのかな?と思ったけど。

 

赤字じゃ続けられないし、それでは職員も利用者も困るので、ちゃんと商売として成立しないといけないと思う。そして、田舎だとなおさらその手広さがいいんだな、と思えた。私自身が言うのは気が引けるけど、田舎はどうしても子供が地域外に出て行きがち。だから、患者さんとかお年寄りとかが、時間とともに孤立していってしまう。

 

医療・看護・介護が分かれていてそれぞれが単機能だと、経過に合わせた有機的なケアという点からは難しくなるんだと思う。ケアマネさんとか、役所の地域包括支援センターの方とか、全体を見渡す人の負担は大きくなりがちなんだろうな。

 

だから、組織を後ろ盾にしていろんな機能に即話をつけられて、かつ、その方の性格なのかプロの経験からなのか、ザクザク事を運ぶ、という点で、最後に世話になったケアマネさんの存在は大きかった。

 

田舎は時間の進みが遅いから、各機能組織のネジを巻く人が必要だ。Give up した3人のケアマネさんというのは、結局自分で背負い込むものが、結構多かったんだろうと思う。プラン作りはいいとしても、いろんな機関との調整は相当なストレスなんじゃないかな。

 

父は自宅に居て、通院、週2でのデイサービスへの通所、日中はヘルパーを頼んでいた。ヘルパーさんの自費分が結構な負担だったなあ。公費で頼める部分なんて、雀の涙とはいわないけど、自費分の請求額は桁が違ったし。

 

というか、ミミズの糞みたいな感覚ですよ、正直言って。だって、自費分の誤差にしかならないもの。とはいえそれも10割にされたらゲロが出そうになるけれど。それに、週末に新幹線で往復してたので、毎月の交通費だけでも十数万円かかったし。

 

あ。。。結局ケアマネさんの勧めがあって最後はグループホームに入居させたんだけど、その時の父の反応が予想と違って意外だったので、そのことを書こうと思ったんだった。

 

で、その時の“父の意外な反応” というタイトルで書き始めたら、当時世話になった人達のあれこれや、思いのほか自分自身が経済的に危なかったことや、それに対して妻が何も言わずにお金を使わせてくれたことを思い出して、つい、そういうところから書き始めて長文になってしまいました。タイトルを書き替えて、と。 本題はまた今度にします。